は判る。バッジいわく、古エジプト人の『死者の書』に六、七の狗頭猴|旭《あさひ》に向い手を挙げて呼ぶ体《てい》を画いたは暁の精を表わし、日が地平より上りおわればこの猴になると附記した。けだしアフリカの林中に日出前|毎《つね》にこの猴喧嘩するを暁の精が旭日《きょくじつ》を歓迎|頌讃《しょうさん》すと心得たからだと。これすこぶる支那で烏を日精とするに似る。日吉山王が猴を使者とするにこの辺の意義もありなん。夜明けに逸早《いちはや》く起きて叫び噪《さわ》ぐは日本の猴もしかり。
『和漢三才図会』に、猴、触穢《しょくえ》を忌む。血を見ればすなわち愁《うれ》うとあるが、糞をやり散らすので誠に閉口だ。果して触穢を忌むにや。次に〈念珠を見るを悪《にく》む。これ生を喜び死を悪むの意、因って嘉儀の物と為しこれを弄ぶ〉とある。吾輩毎度農民に聞くところは例のさるまさるとて蓄殖の意に取るらしく、熊野では毎初春猴舞わしが巡り来て牛舎前でこれを舞わす。また猴の手をその戸に懸け埋めて牛息災なりという。エルウォーシーの『邪視編』に諸国で手の形を画いて邪視を防ぐ論あり。今もこの辺で元三大師の手印などを門上に懸くる。されば猴を
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