の行事をなすと出《い》づ。すべて日吉に二十一社ありて仏神の混合甚だしく、記録に牽強多くて事歴の真相知れがたきも、大体を稽《かんが》うるに、伝教大師この社を延暦寺に結び付けた遥か以前に、二の宮この山の地主と斎《いつ》かれた。そのまた前に猴をこの山の主として敬いいたのがこの山の原始地主で、上に引いたコンウェイの言に倣《なろ》うていえば、拝猴教が二の宮宗に、二の宮宗が一層新米の両部神道に併《あわ》され、最旧教の本尊たりし猴神は記紀の猿田彦と同一視され、大行事権現として二十一社の中班に例したは以前に比して大いに失意なるべきも、その一党の猴どもは日吉の神使として栄え、大行事猴神また山王の総後見として万事世話するの地位を占め得たるは、よく天命の帰する所を知りて身を保ったとも一族を安んじたともいうべく、また以てわが邦諸教|和雍寛洪《わようかんこう》の風に富めるを知るべし。『厳神鈔』に「日吉と申すは七日天にて御す故なり、日吉の葵《あおい》、加茂の桂《かつら》と申す事も、葵は日の精霊故に葵を以て御飾りとし、加茂は月天にて御す故に桂を以て御飾りとす」など、日吉の名義定説なきも、何か日の崇拝に関係ある文字と
前へ 次へ
全159ページ中147ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング