たものか。『日本及日本人』七二五号に、『談海』十二に山神の像を言いて「猿の劫《こう》をへたるが狒々《ひひ》という物になりたるが山神になる事といえり」、『松屋筆記』に『今昔物語』の美作《みまさか》の中参の神は猿とあるを弁じて、参は山の音で、中山の神は同国の一の神といえり、さて山神が猿なるより『好色十二男』に「かのえ申《さる》のごとき女房を持ち合す不仕合せ」とあるも、庚申の方へ持ち廻りたるなれど、面貌より女が山の神といわるる径路を案ずべし。必ずしも女房に限らざるは、『乱脛三本鑓《みだれはぎさんぼんやり》』に「下女を篠山に下し心に懸る山の神なく」とあると無署名で書いたは卓説だ。維新の際武名高く、その後長州に引隠して毎度東京へ出て今の山県《やまがた》公などを迷惑させた豪傑兼大飲家白井小助は、年不相応の若い妻を、居常《きょじょう》、猴と呼び付けたと、氏と懇交あった人に聞いたは誠か。予もその通りやって見ようとしばしば思えど、そこがそれ山の神が恐《こわ》くて差し控える。
 コンウェイはビナレスの猴堂に異類多数の猴が僧俗に供養さるるを観た最初の感想を述べて、この辺で行わるる軌儀は上世の猴が奉じた宗旨を
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