夜分尾で面を掩《おお》うて臥すというから、何か栗鼠《りす》属のもので真の果然でない。果然は一名|※[#「虫+隹」、31−7]《い》また仙猴《せんこう》、その鼻孔天に向う、雨ふる時は長い尾で鼻孔を塞《ふさ》ぐ、群行するに、老者は前に、少者《わかもの》は後にす。食、相譲り、居、相愛し、人その一を捕うれば群啼《ぐんてい》して相《あい》赴《おもむ》きこれを殺すも去らず。これを来すこと必《ひっ》すべき故、果然と名づくと『本草綱目』に見え、『唐国史補』には楽羊《がくよう》や史牟《しぼう》が立身のために子甥《しせい》を殺したは、人状獣心、この猴が友のために命を惜しまぬは、獣状人心だと讃美しある。されば帝舜が天子の衣裳に十二章を備えた時、第五章としてこの猴と虎を繍《ぬいとり》したのを、わが邦にも大嘗会《だいじょうえ》等|大祀《たいし》の礼服に用いられた由『和漢三才図会』等に見ゆ。二十年ほど前、予帰朝の直前|仰鼻猴《ぎょうびざる》という物の標品がただ一つ支那から大英博物館に届きしを見て、すなわちその『爾雅《じが》』にいわゆる※[#「虫+隹」、31−15]たるを考証し、一文を出した始末は大正四年御即位の節
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