国の政治家セルデンは女を好まず、毎《つね》にいわく、妻を持つ人はその飾具の勘定に悩殺さる、あたかも猴を畜《か》う者が不断その破損する硝子《ガラス》代を償わざるべからざるごとしと。ベロアル・ド・ヴェルビュの『上達方』に婦人は寺で天女、宅で悪魔、牀《とこ》で猴と誚《そし》り、仏経には釈尊が弟の難陀その妻と好愛甚だしきを醒《さ》まさんとて彼女の瞎《めっかち》雌猿に劣れるを示したと出づ。それから意馬心猿《いばしんえん》という事、『類聚名物考』に、『慈恩伝』に〈情は猿の逸躁を制し、意は馬の奔馳《ほんち》を繋《つな》ぐ〉、とあるに基づき、中国人の創作なるように筆しあれど、予『出曜経』三を見るに〈意は放逸なる者のごとく、愛憎は梨樹のごとし、在々処々に遊ぶ、猿の遊びて果を求むるがごとし〉とあれば少なくとも心猿(ここでは意猿)だけは夙《はや》くインドにあった喩《たと》えだ。
『大和本草』に津軽に果然《かぜん》の自生ありと出づるがどうもあり得べからざる事で、『※[#「車+鰌のつくり」、第3水準1−92−47]軒《ゆうけん》小録』に伊藤仁斎の壮時京都近辺の医者が津軽から果然を持ち来ったと記載しあるを読むと、
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