十億)の大衆を殺した喧嘩ばかり書いた詰まらぬ物と貶《けな》し、『六度集経』にも羅摩を釈尊、私陀をその妻|瞿夷《くい》、ハヌマンの本尊帝釈を釈尊の後釜に坐るべき未来の仏|弥勒《みろく》としながら羅摩、私陀等の名を一切抹殺して単に大国王、その妃などといい居る。故にラーマーヤナ譚が三国の世既に支那に入りいたとはちょっと気付いた人がなかったと見える。
ハヌマン猴はかく羅摩に精忠を尽して神物と崇めらるるから、インド人はこれを殺すを大罪とする由上に述べた。テンネントの『錫蘭《セイロン》博物誌』にいわく、インド人はハヌマン猴が殺された処に住む人はやがて死ぬばかりか、その骨を埋めた地上に家建てても繁昌せぬと信じ、必ずまず術士を招き、きっとその骨が土中になきと占い定めた後《のち》家を立てる。かく不吉と思い込んだからハヌマンの屍骸《しがい》を見ても口外せぬ。
さてセイロンのシンガリース人は林中で猴が死んでも屍を見せぬといい、その諺に「白い鳥と稲鳥(パッジー・バード、鷺《さぎ》の一種)と直な椰樹と死んだ猴、それを見た人は死なぬはず」という。これは件《くだん》のハヌマンの屍を見ても口外せぬインドの風が移っ
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