前田|利常《としつね》の幼名お猿などあるは上世これを族霊《トーテム》とする家族が多かった遺風であろう。『のせざる草紙』に、丹波の山中に年をへし猿あり、その名を増尾の権《ごん》の頭《かみ》と申しける。今もこの辺で猴神の祭日に農民群集するは、サルマサルとて作物が増殖する賽礼《さいれい》という。得手吉とは男勢の綽号《あだな》だが猴よくこれを露出するからの名らしく、「神代巻」に猿田彦の鼻長さ七|咫《し》、『参宮名所図会』に猿丸太夫は道鏡の事と見え、中国で猴《こう》を狙《そ》というも且は男相の象字といえば(『和漢三才図会』十二)、やはりかかる本義と見ゆ。ある博徒いわく、得手吉は得而吉で延喜《えんぎ》がよい、括《くく》り猿《ざる》というから毎々縛らるるを忌んで猴をわれらは嫌うと。
 唐の黄巣《こうそう》が乱を為《な》し金陵を攻めんとした時、弁士往き向うて王の名は巣《そう》、それが金に入ると※[#「金+樔のつくり」、第4水準2−91−32]となると威《おど》したのですなわち引き去った(『焦氏筆乗』続八)とあると同日の談だ。
 昔狂月坊に汝の歌は拙《まず》いというと、「狂月に毛のむく/\と生《はえ》よ
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