《おのの》きながら死地に就くに忍びずと言う。牛を牽く者、しからば鐘に血を塗るを廃しましょうかと問うと、それは廃すべからず、羊を以て牛に易えよと言った。王実は牛が太《いた》く死を懼れ羊は殺さるるも鳴かぬ故、小の虫を殺して大の虫を活《い》かせてふ意でかく言ったのだが、国人は皆王が高価な牛を悋《おし》んで、廉価の羊と易えよと言ったと噂した。それについて孟子が種々と王を追窮したので、売詞《うりことば》に買詞《かいことば》、王も種々|弁疏《べんそ》し牛は死を恐れ、羊は鳴かずに殺さるる由を説くべく気付かなかったのだ。さて孟子は王のために〈牛を見ていまだ羊を見ざるなり〉云々と弁護するに及び、王悦んで、〈詩にいわく他人心あり、予これを忖度《そんたく》す〉とは夫子《ふうし》の謂《いい》なり、我は自分で行《や》っておきながら、何の訳とも分らなんだに夫子よくこれを言い中《あ》てたと讃《ほ》めたので、食肉を常習とする支那で羊は牛ほど死を懼れぬ位の事は人々幼時より余りに知り切りいて、かえってその由の即答が王の心に泛《うか》み出なんだのだ。
この鐘に血塗るという事昔は支那で畜類のみか、時としては人をも牲殺してそ
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