の血を新たに鋳た鐘に塗り、殺された者の魂が留まり著いて大きに鳴るように挙行されたのだ。その証拠は『説苑《ぜいえん》』十二に秦と楚と軍《いくさ》せんとした時、秦王人を楚に遣《つか》わす、楚王人をしてこれに汝《なんじ》来る前に卜《うらな》いしかと問わしむると、いかにも卜うたが吉とあったと答えた。楚人その卜いは大間違いだ、楚王は汝を殺して鐘に血塗らんとするに何の吉もないものだと威《おど》した。秦の使者曰く、軍が始まりそうだからわが王我をして様子を窺《うかが》わしむるに、我殺されて還《かえ》らずば、わが王さてはいよいよ戦争と警戒準備怠らぬはずだからわがいわゆる吉だ。そのうえ死者もし知る事なくんばその血を鐘に塗りて何の益あろうか、万一死者にして知るあらばわれは敵を相《たす》くるはずがない。楚の鐘鼓をして声を出さざらしめんに楚の士卒を整え軍立《いくさだて》をする事がなるまい。それ人の使を殺し人の謀《はかりごと》を絶つは古の通議にあらざるなり。子大夫試みにこれを熟計せよと強く出たので、楚王これを赦《ゆる》し還らせたとある。
 このついでにいう、『日本霊異記』や『本朝文粋』に景戒《きょうかい》や※[#
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