テリゼンス》』に牛が屠場に入りて、他の牛の殺され剥《は》がるる次第を目撃し、仔細を理解して恐懼《きょうく》し、同感する状《さま》著しく、ほとんど人と異ならざる心性あるを示す由を記し、ただし牛に随って感じに多少鋭鈍の差があると注した。予在外中しばしば屠場近く住み、多くの牛が一列に歩んで殺されに往くとて交互哀鳴するを窓下に見聞して、転《うた》た惨傷《さんしょう》に勝《た》えなんだ。また山羊は知らず、綿羊が殺され割《さ》かるるを毎度見たが、一声を発せず、さしたる顛倒騒ぎもせず、こんな静かな往生はないと感じた。『経律異相《きょうりついそう》』四九に羊鳴地獄の受罪衆生は、苦痛身を切り声を挙げんとしても舌|能《よ》く転ぜず、直ちに羊鳴のごとしと見え、ラッツェルの『人類史』にアフリカのズールー人新たに巫《ふ》となる者、牛や山羊その他諸獣を殺せど、綿羊は殺されても叫ばぬ故、殺さぬと出《い》づ。
かく攷《かんが》えるとどうも馬琴の説が当り居るようだ。すなわち斉の宣王が堂上に坐すと牛を率《ひ》いて過ぐる者あり。王問うてその鐘に血を塗るため殺されに之《ゆ》くを知り、これを舎《ゆる》せ、われその罪なくして慄
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