、六日の間寒風大雨を起して、すべての羊もちょうど生まれた羊児も鏖《みなごろ》しにしたと。
一九〇三年板アボットの『マセドニア民俗記』に言う。カヴァラ町の東の浜を少し離れて色殊に白き処あり、黄を帯びた細い砂で、もと塩池の底だったが、日光に水を乾《ほ》し尽されてかくなったらしい。昔美なる白綿羊を多く持った牧夫あり、何か仔細《しさい》あってその羊一疋を神に牲《にえ》すべしと誓いながら然《しか》せず、神これを嗔《いか》って大波を起し牧夫も羊も捲《ま》き込んでしまった。爾来《じらい》そこ常に白く、かの羊群は羊毛様の白き小波と化《な》って今も現わる。羊波《プロパタ》と名づくと。これに限らず曠野に無数の羊が草を食いながら起伏進退するを遠望すると、糞蛆の群行するにも似れば、それよりも一層よく海上の白波に似居る。近頃何とかいう外人が海を洋というたり、水盛んなる貌を洋々といったりする洋の字は、件《くだん》の理由で羊と水の二字より合成さると釈《と》いたはもっともらしく聞える。しかし王荊公が波はすなわち水の皮と牽強《こじつけ》た時、東坡がしからば滑とは水の骨でござるかと遣《や》り込めた例もあれば、字説|毎《
前へ
次へ
全27ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング