つね》に輒《たやす》く信ずべきにあらずだ。
『春秋繁露《しゅんじゅうはんろ》』におよそ卿に贄《にえ》とるに羔《こひつじ》を用ゆ。羔、角あれども用いず、仁を好む者のごとし。これを執《とら》うれども鳴かず、これを殺せども号《さけ》ばず、義に死する者に類す。羔、その母の乳を飲むに必ず跪《ひざまず》く。礼を知る者に類す。故に羊の言たるなお祥のごとし。故に以て贄となすとあるなども本来を誤った説で、羊が生来吉祥の獣たるにあらず、もと羊を神に供えて善悪の兆を窺うたから祥の一字を羊示の二つから合成したのである。
 皆人の熟知する通り『孟子』に羊と牛とが死を怖るる表出の程度についての議論がある。馬琴の『烹雑記《にまぜのき》』の大意にいわく、牛の性はその死を聞く時は太《いた》く怖る。また羊の性はその死を聞きても敢《あ》えて怖れぬという宋の王逵が明文あり。『蠡海集《れいかいしゅう》』にいう。牛と羊と共に丑未の位におれり、牛の色は蒼《あお》く、雑色ありといえども蒼が多し、春陽の生気に近きが故に死を聞く時はすなわち※[#「轂」の「車」に代えて「角」、第4水準2−88−48]※[#「角+束」、第4水準2−88−4
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