貴く王これを崇《あが》むるはもっともだが、かの木菟入《ずくにゅう》こそ怪《け》しからぬ、あんなありふれた坊主を一億金代りに受け取ったは大勘違いでなかろうかと。王はもとよりかの比丘が無類の偉人で、弁才能く人間外の物をすら感ぜしむるを知ったから、諸群惑をいかにもして悟らせようと考えて、七疋の馬を五日間餓えしめ、六日目にあまねく内外の沙門と異学の徒を集め、かの比丘を請《しょう》じて説法せしめると、一同開悟せぬはなかった。さて説法所の前に七つの馬を繋ぎ、馬は浮流草を嗜《この》めばとて浮流草を与えしも、馬ただ涙を垂れて法を聴くのみ、少しも草を食う意なき様子、天下すなわちその不世出の比丘たるを知り、馬がその恩を解したから馬鳴《めみょう》菩薩と号《な》づけ、北天竺に仏法を弘めたと。浮流草は詳らかならぬが水流に浮かみ、特に馬が嗜み食う藻などであろう。ホンダワラ一名神馬草、神功《じんぐう》皇后征韓の船中|秣《まぐさ》に事欠き、この海藻を採って馬に飼うた故名づくと(『下学集』下)。『能登名跡志』またこの藻もて義経が馬に飼うたてふ、俚伝を載す。
タヴェルニエーの『波斯《ペルシア》紀行』に、バルサラに草乏し
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