考になるようだ。
 アストレイの書(上に引く)三巻三一〇頁に、ポルトガル王が、ゼブラ四疋に車を牽かせたと記《しる》し、往年英人ゼブラに乗り課《おお》せた者あると聞いた。古カルデア人が、オナッガに戦車を牽かせ、韃靼人は、キャングを飼い擾《なら》す事あり(マスペロ『|開化の暁《ゼ・ドーン・オヴ・シヴィリゼーション》』英訳七六九頁、ウッド『博物画譜《イラストレーテッド・ナチュラル・ヒストリー》』巻一)。『史記』の匈奴列伝に、匈奴の先祖が、馬と驢のほかに、多少の野生種を馴養《じゅんよう》した記事あるは上に引いた。して見ると、馬と驢のほかにも、随分物になる種もあるに、馬と驢で事足る上はとて、別段力をその馴養に竭《つく》さなんだので、その上野驢や花驢《しまうま》の諸種は、専らその肉を食いその皮を剥がんため、斟酌なく狩り殺さるるから、人さえ見れば疾走し去るのだ。中阿や南阿の土人が、象と花驢|甚《いと》多かった時、これを馴らし使う試験を累《かさ》ねず、空しくこれを狩り殺したは、その社会の発達を太《いた》く妨げた事と惟《おも》う。
『大英百科全書』またいわく、時として家馬の蹄《ひづめ》の側に、蹄ある小趾
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