騎乗を知らず〉といえるもその頃そうであったのだ。
かつて出羽の飛島《とびしま》へ仙台の人渡れるに、八十余の婆語りしに、世には馬という獣ありと聞けり、生前一度馬を見て死にたしと(『艮斎間話《ごんさいかんわ》』上)。二十余年前まで但馬《たじま》因幡《いなば》地方で馬極めて稀なり、五歳ばかりの児に馬を知るやと問うと、顔を長く四疋《よつあし》と尾あり人を乗せると答う。大きさを尋ぬると両手を二、三寸に拡げ示し、その大なるものは下に車ありと答う。絵と玩具のほか、見た事ないからだと(『理学界』一月号、脇山氏説)。紀州でも、日高郡奥などに馬なき地多かった。また大和に、去年まで馬見た事ない村あったと、それ八月八日の『大毎』紙で読んだ。昨今すらこの通り、いわんや上世飼養の法も知らず、何たる要用もなく、殊には斎忌《タブー》の制煩多で、種々の動植を嫌う風盛んだった時に、牛馬のない地方が、わが邦に少なくなかったと攷《かんが》える。想うにわが邦神代の馬は、「種類」の条で述べた、北方の馬種を大陸より伝えたのを、後世良馬を支那より輸入した事、貝原氏の説通りだろう。
『大英百科全書』またいわく、馬属の諸種外形の著しく
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