殖えず、鵲《かささぎ》は両肥両筑に多いと聞けど昔もそうだったか知らぬ。
篤信が引いた『旧事記』は怪しい物となし措《お》くも、保食神の頂より牛馬|化《な》り出《で》しと神代巻一書に見え、天斑馬《あまのぶちこま》の事と、日子遅神《ひこじのかみ》、片手を馬鞍に掛けて出雲より倭国に上った事とを『古事記』に載すれば(『古今要覧稿』五〇九)、〈牛馬なし〉と書いた『後漢書』は、まるで信《うけ》られぬようだが、この他に史実に合った事ども多く載せ居る故、一概に疑う事もならず、地理の詳細ちょっと分りにくいが、朱崖※[#「にんべん+擔のつくり」、第3水準1−14−44]耳という小地に近く、土気温暖、冬夏菜茹を生ずる日本の一部分、もしくは倭人の領地に、牛馬がなかったと断ずべしだ。日本上古の遺物に、牛馬飼養の証左ある由は、八木、中沢二君の『日本考古学』等に出づ。同じ『後漢書』東夷列伝に、辰韓《しんかん》は秦人(支那人)が馬韓《ばかん》より地を割《さ》き受けて立てた国で、〈牛馬に乗駕す〉と特書せるを見ると、当時韓地にも牛馬を用いぬ所があったので、千年ほど前出来た『寰宇記《かんうき》』に、琉球に羊と驢と馬なく、〈
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