と見ず、受戒を聴《ゆる》さぬ定めだったのだ。この辺でもかかる女を不吉とし、殊に農家は不毛を忌む故、そんな者を娶《めと》れば隣家までも収穫を損ずとて甚だ嫌う。これらは真に一笑に堪えた迷信と看過してやまんが、今日までも西洋の医家に頑説多い。
例せば、面首を以て愛重された男子はことごとく柔弱萎縮しおわると説く者甚だ多きも、ハンニバル、シーザル等かつて若契《じゃっけい》を経た偉人泰西に多く、「蘭丸をいっち惜しがる本能寺」、「佐吉めは出征をしたと和尚いい」、わが邦にも美童の末大名を馳《は》せた者少なからず。それにかかわらず安陵竜陽みな凶終するよう論ずるは、性慾顛倒の不男《ぶおとこ》や、靨《えくぼ》を売って活計する色子野郎ばかりに眼を曝《さら》した僻論《へきろん》じゃ。この事は英国の詩人シモンズの『|近世道義学の一問題《ア・プロブレム・イン・モダーン・エシックス》』(一八九六年)、明治四十二年『大阪毎日』の連載した蕪城生の「不識庵と幾山」によく論じあった。それと等しく婦人の不毛は必ず子なしと説く者西洋に少なからぬが、これも事実と差《ちが》う場合がある。予今時のいわゆる人種改良とか善胎学とか唱うる
前へ
次へ
全212ページ中63ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング