る。そこへ老いた比丘《びく》が托鉢に来たので、※[#「烏+おおざと」、第3水準1−92−75]陀夷はどんな人と問うと、大臣の家に生まれたが出家したと答う。姑彼持戒の出家なら女人の陰相などを知るはずなしというと、人相学に通じて知るという、姑そんな事を知ったからって皆人に告ぐべけんやと打ち返したので、老比丘閉口して寺に帰って仏に白《もう》すと、わが弟子ども今後俗家で女のために説法すべからずと戒めたが、それでは実納《みいり》が少ないから男子ある側で女人に説法すべしと改めたとある。インドなど、人が多く衣を重ね着ぬ熱地では、かかる事を学び知る便宜が遥かに他より多かるべく、したがってそっちの研究はよほど進みいただろう。それと同時にかかる相好《そうごう》を覚え置いて人を罵るに用いた輩も多かったと見え、『四分律』三に人の秘相を問いまた罵るを制しあり。『十誦律』四七、比丘尼に具足戒を授くるに先だち、あらゆる事どもを問うて真実に答えしむ。〈我今汝に問う、汝これ人なりやいなや、これ女なりやいなや、これ非人にあらざるや、畜生にあらざるや、これ不能女人にあらざるや、女根上に毛ありや〉と、これかかる者を完全な人間
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