か珍説を申そう。
 三年前、南洋の各地を視察した長谷部博士の説に、トルク島人闘う時|対手《あいて》やその近親の陰部に関し聴くに堪えぬ言を闘わし、マーシャル島人また仇敵の母の陰部を悪口する由(『人類学雑誌』三十巻七号二七八頁)。『根本説一切有部毘奈耶』に、仏の弟子|※[#「烏+おおざと」、第3水準1−92−75]陀夷《うだい》人相学に精《くわ》し、舎衛城内を托鉢して婆羅門居士の家に至り小婦を見、汝の姑は如何《いかん》と問うと、兎が矢に中《あた》ったように暴悪だと答う。※[#「烏+おおざと」、第3水準1−92−75]陀夷曰く姑の過ちでない、彼の両乳の間および隠密処に黒黶《くろぼくろ》と赤黶と旋毛《つむじ》、この三の暴悪相があるからだと教え食《じき》を受けて去った。その後またその家に至り姑に汝の※[#「女+息」、第4水準2−5−70]《よめ》は如何と問うと、仕事無精で瞋《いか》り通しだと答う。そこで前同様に教え食を受けて去った。他日他の居士の家に説法した時、その姑に※[#「女+息」、第4水準2−5−70]の事を尋ねると、生《うみ》の娘同様孝を尽くしくれると悦び語る、※[#「烏+おおざと」、第
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