プレヒストリック・マン》』一巻七二頁)。これ後世までもアリヤ種の言語かえって動物の声を擬《まね》て名とする事盛んに、いわゆる劣等種たる銅色人が初めて馬を見て名を付くるに、専らその性質に拠り決してその声を擬《まね》なんだ確証で、かかる反証が少なくとも二十年前に出でいたを知らぬ顔で、何がなアリヤ種を持ち上げんと勝手な言のみ吐いたミュラーは、時代|後《おく》れに今日までもわが邦一派の学者が尊敬するほど真面目な人物でなかったと知る。バートンはアラビヤに馬に関する名目多いと述べたが、支那人も古くから随分馬に注意したは、『爾雅』を始め字書類を見て判る。前足皆白い馬を※[#「馬+奚」、第4水準2−93−1]《けい》、後足皆白きを※[#「栩のつくり+句」、354−8]《く》、前右足白きは啓、前左足白きは※[#「足へん+奇」、354−8]《き》、後右足白きは驤《じょう》、後左足白きは※[#「馬/廾」、354−8]《しゅ》などなかなか小むつかしく分別命名しある。わが邦も毛色もて馬を呼ぶに雑多の称あり。古来苦辛してこれを漢名に当てたは『古今要覧稿』巻五一五から五二四までに見ゆ。とばかりでは面白うないから、何
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