と、不在中に痕なく消え失せたり、夫大いに怒ると妻落ち着き払って、汝は不適当な物を画いた、蓮の下の蓮根は食える物ゆえ来る人ごとに掘り取り、蓮根枯れれば花が散るはずでないかとあり。今一つは、夫他行の際、左の番卒を画き置きしに、帰り来れば番卒右にあり、怒って妻を責むれば、永々の留守ゆえ左右の立番を振り替えたのだと弁じたとある。紀州で今も行わるる話には、夫が画いたは勒《くつわ》附きの馬だったが、帰って見るに勒なし、妻を責むると馬も豆食う時勒を去らにゃならぬと遣り込められたという。この型の諸譚、一源より出たか数ヶ処別々に生じたか知らぬが、記録に存する最も古きは日本の物と見る。右は東京の蘭国公使館書記官ステッセル博士の請に任せ、一九一〇年発行『フラーゲン・エン・メデデーリンゲン』へ出した拙稿の大意である。
本邦で馬に関する伝説の最《いと》広く分布しいる一つは白米城《はくまいじょう》の話であろう。『郷土研究』巻四と『日本及日本人』去る春季拡大号へ出した拙文に大概説き置いたから、なるべく重出を省いて約《つづま》やかに述べよう。建武中、飛騨の牛丸摂津守の居城敵兵に水の手を切られ苦しんだ時、白米で馬を洗
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