−52]の英国名の起原が東欧の俗譚を調べて甫《はじ》めて釈《わか》り、支那の俚伝がその傍証に立つ、これだから一国一地方の事ばかり究むるだけではその一国一地方の事を明らめ得ぬ。
 昔オランダ国で何度修めても砂防工事の成らぬ所あり。その頃わが邦へ渡ったかの国人が、奥羽地方で合歓木《ねむのき》をかかる難地へ植えて砂防を完成すると聞き、帰国の上官へ告げて試むると果して竣功したという。この事業上の談同然に学問上にも西洋人に解らぬ事で、わが邦で解りやすいのが多くある。三十年ほど前フレザーが『金椏篇《ゴルズン・バウ》』を著わして、その内に未開国民が、ある年期に達した女子を定時幽閉する習俗あるは、全く月経を斎忌《タブー》するに因ると説いたのを、当時学者も俗人も非常の発見らしく讃《ほ》め立てたが、実はわが邦人には見慣れ聞き慣れた事で、何の珍しくもない事だった。さほど知れ切った事でも黙っていては顕われず、空しく欧米人をして発見発見と鼻を高からしめ、その後に瞠若《どうじゃく》たりでは詰まらぬ。こう言うとお手前拝見と来るに極まって居るから、我身に当った一例を演《の》べんに、沙翁の戯曲『マッチ・アズー・アバウト
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