を築くとか勝利を祈るとか馬を殺し沈めて祈る事多く、日本にもその例あったものか『近江輿地誌略』八五に、浅井郡馬川は洪水の時白馬出て往来人を悩ますという。『沙石集』『因果物語』等に馬を虐待してその霊に苦しめられた譚多い。されば馬が悪鬼となって返報するも無理ならず。欧州でも、地獄の大侯ガミギンは小馬の形といい、馬怪ルー・ドラペーは小児を百五十人までその尻に載せ去って復さずという。惟《おも》うに馬頭観音が明王観音両部に属し、あるいは温和あるいは大忿怒形を現わすは、半ばは馬が人を助くる善性、半ばはこれら馬鬼の悪性を取って建立された半菩薩半鬼王だからだろう。
宮武《みやたけ》氏が出した『此花』四枝に、紙張子の馬を腰付けて踊り走る図三を出し「ほにほろ考」を書かれた。これは寛政頃|流行《はや》り初めた物らしく「上るは下るは」と名づけたらしいとあって、馬上の唐人また武者姿で所作して見せるを、一人奇な声で、「ソリャ上るは上るは、雷の子でほにほろ/\/\下るは/\」と囃《はや》した。ホニホロはオランダ語らしいからこの腰付馬《こしつけうま》もオランダ渡来だろうと言われたが、右の引句ばかりではこの装いまた芸当
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