の動物に挺《ぬき》んでたるを見込み、特別の思し召しもて、主人に殉し殺さるるのだ。タヴェルニエーの『波斯紀行《ヴォヤーシ・ド・ペルス》』四巻十章に、アルメニアの熱心なキリスト教徒が、聖ジョージ祭に、一週間の断食を行うはよいが、中には馬にも強行した者ありとは、ありがた過ぎて馬が哭《な》いたであろう。ボスウェルが博士ジョンソンに老衰した馬の処分法を問うた時の答書に、人間が畜《か》った物ゆえ力の強い間馬を働かすが正当だが、馬老衰と来ては処分が大分むつかしい、ただし牝牛を畜って乳を取り羊を養って毛を収め、とどのしまいに殺し食うたって異論なし、それと同理でまず馬を働かせ、後に苦もなく殺しやりて、他の馬を畜い牛羊を飼うに便にするに四の五のないはずだ、もし馬を殺す人馬の功を忘ると言わば、牛羊を殺すもまた功を忘るるものならんと述べて、なるべく苦患少ないよう殺しやれとあったと記憶する。斉の宣王が羊を以て牛に易えた了簡と大分|差《ちが》うようだが、ジョンソンの言自ずからまたその道理あり。馬を殉葬した人間の思惑は大要ジョンソンと同じく、犬羊馬豕|斉《ひと》しく人が飼った物で人に殺さるるは当然ながら、ややその功
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