河の国で向火《むかいび》著けて夷《えびす》を滅ぼしたまいし事を記して、『花鳥余情』に火の付きたるに此方《こなた》よりまた火を付ければ向いの火は必ず消ゆるを向火という。そのごとく此方より腹を立て掛かれば人の腹は立ちやむものなりとあるを引き居る。今も熊野で山火事にわざと火を放って火を防ぐ法がある。予は沙翁がこれら日本の故事を聞き知ってかの語を作ったと思わぬが、同様の考案が万里を距《へだ》てた人の脳裏に各《おのお》の浮かみ出た証拠に聢《しか》と立つであろうと。かく言い送って後考うると、仏説の悍馬は悍馬を鎮めた話もやや似て居るを一緒に言いやらなんだが遺憾だ。
 英語で蜻※[#「虫+廷」、第4水準2−87−52]《とんぼ》を竜蠅《りょうばえ》(ドラゴン・フライ)と呼び、地方によりこの虫馬を螫《さ》すと信じてホールス・スチンガール(馬を螫すもの)と唱う。そは虻や蠅を吃《く》いに馬厩《うまや》に近づくを見て謬《あやま》り言うのだろう。さて竜蠅とは何の意味の名かしばしば学者連へ問い合せたが答えられず。『説郛』三一にある『戊辰雑抄』に、昔大竜大湖の※[#「さんずい+眉」、第3水準1−86−89]《ほとり
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