鮫皮がもっとも日本で尊ばれたと知った。而してタヴェルニエーの『波斯紀行《ヴォヤーシュ・ド・ペルス》』四巻一章に、十七世紀にペルシア人欧州と琵牛《ペグウ》の銅を重んじたが最も日本の銅を賞めたとあれば、日本の銅とペルシアの鮫皮と直接に易《か》えたら善《よ》かったのだが、当時両国間の通商開けず、空しく中に立った蘭人に巨利をしてやられたのは残念でならぬ。
 さて人間に催姙の薬あらば、畜類にもそんな物あるべしとの想像から出たものか、肥前平戸より三里ほどなる生月島《いけづきじま》に、古来牧馬場あり、かつて頼朝の名乗|生嘱《いけずき》を出すという。里伝にこの島に名馬草を産し、牝馬これを食えば必ず名馬を産めど、絶壁間に生える故馬これを求めて往々墜ちて死すと(『甲子夜話』続編五七)。その前文から推すにその処|甚《いと》危険で馬しばしば足を失するより出た話らしい。
 予在外中、維新前外国通商およびその商品について毎度調査した結果、右にほぼ述べた通り、媚薬とか房中剤とか実際不緊要な物に夥しく金銀を外邦へ失い居ると知り、遅蒔きながら何とかその腹癒《はらい》せもならぬものかと、左思右考してわずかに一策を得た。若
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