しこの点について、邦人が支那を笑う事もならぬ。幕政中年々莫大の金を外国へ渡して買うた薬品は、済生上やむをえぬ事と言うたものの、その大部分は、当時永続の太平に慣れて放逸縦行した無数の人間が、補腎健春の妙薬としてしきりに黄白を希覯の曖昧《あいまい》品に投じたのである。例せば支那から多量に年々輸入した竜眼肉てふ果物は、温補壮陽の妙薬として常住坐臥食い通した貴族富人が多かった。しかるに維新後、漢医法|廢《すた》れて一向この果売れず、黴《かび》だらけになって詮方なきところから、大阪でも東京でも辻商人にその効能を面白く弁じさせ、二束三文で売らせてもさっぱり捌《さば》けなんだと聞く。ちょうど同時に、大阪の鮫皮商が、廃刀令出て鮫皮が塵埃同然の下値となり、やむをえず高価絶佳の鮫皮を酢で煮《に》爛《ただ》らかして壁を塗る料にして售《う》った事もあり。さしも仙薬や宝玉同然に尊ばれた物も一朝時世の変で糞土よりも値が下がる事、かくのごときものあった。往時日本で刀剣を尊んだに付け、鮫皮を鑑賞する事夥しく、『鮫皮精義』等の専門書もあり、支那、ジャバ、前後インド諸国の産を夥しく輸入したが、予先年取り調べてペルシア海の
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