いとねたし泳の宮の池にすむ鯉故人に欺かれぬる」とはこれを詠んだのじゃ。それと等しくて、マスクワキーインジアンも馬なかった昔は、かかる痛い目をせずに済んだのである。
漢の鄒陽の上書中に、燕人蘇秦が他邦から入りて燕に相《しょう》たるを悪《にく》み讒せしも燕王聞き入れず、更に秦を重んじ※[#「馬+夬」、第4水準2−92−81]※[#「馬+是」、第4水準2−92−94]《けってい》を食わせたとある。これは既に言った通り、牡馬が牝驢に生ませた間子《あいのこ》で、日本ではちょっと見られぬものだが、支那の古え特遇の大臣に賜わるほど故その肉は勝《すぐ》れて旨《うま》いらしい。ローマでは紀元前一世紀、文学奨励で著名だったマエケナスが驢児を饌用《せんよう》し初めた。当時驢の肉大流行だったが、後には衰え、オナッガや今もアフリカに出づる野驢(家驢の原種)を食用した。プリニウスいわく、驢が他の驢の死ぬところを見るとほどなく自分も死すと。支那では明朝の宮中元日に驢の頭肉を食うを嚼鬼《しゃっき》と呼んだ、俗に驢を鬼と呼んだからだ(インドでも驢を鬼物とし、故人驢車に乗るを夢みるは、その人地獄へ行った徴《しるし》とい
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