にして亡ぼされたは衆人の知るところだ。それほど恐れ入った馬も暫く見馴るれば何ともなくなり、今度は南北米の土人ほど荒馬乗りの上手はなしというほどその業に熟達し、ダーウィンの『探検航行記《ジョーナル・オヴ・レサーチス》』に南米土人が幼子を抱え裸で裸馬を擁して走り去る状を記し、真に古ギリシアの大勇士の振舞いそのままだと言い居る。またバートンは北米のインジアンが沙漠中に天幕と馬に資《よ》りて生活するよりアラビア人と同似の世態を発生した由を述べた。したがって西大陸に新規現出した馬に関する習俗が少なからぬ。たとえばパタゴニアのテフェルチ人は、牝牛馬の腹を割《さ》き胃を取り出しその跡まだ暖かなところへ新産児を入れ置き、いわくこうするとその児後年騎馬の達人となると、この輩以前は徒歩したが百年ほど前北方から馬を伝え不断騎りいてほとんど足で歩む能わず、また人死すれば馬と犬を殺し以前は乗馬に大必要な革轡《かわぐつわ》を本人の屍と合葬した(プリッチャード『巴太瓦尼亜貫通記《スルー・ゼ・ハート・オヴ・パタゴニア》』六章)。旧世界でも馬を重んずる諸民が馬を殺し馬具とともに従葬した例多く、南船北馬の譬えのとおり、蒙
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