したのを読んだが今ちょっと憶い出さぬ。ただし母系統を重んずるにはまた拠るべき道理の争われぬものありて、女はいつ誰の種を孕むやら自分ですら知らぬ場合もあるもの故(仏教にこれを知るを非凡の女とす)、普通に夫の子と認められながら誰の種と判らぬが多い。されば姓氏を重んずる支那でも、〈田常斉の国中の女子|長《たけ》七尺以上なるを選み後宮と為す、後宮百を以て数え、而して賓客舎人の後宮に出入する者を禁ぜざらしむ、常卒するに及び七十余男あり〉。フレデリク大王が長大の男女を配偶して強兵を図った先駆で、大きい子を多く生みさえすれば実は誰の種でもよいという了簡、これは格外として、戦国の末わずか十年内に楚王后が生んだ黄歇の子と秦王后が生んだ呂不韋の子が楚と秦の王に立った。故に魏の※[#「形」の「彡」に代えて「おおざと」、第3水準1−92−63]子才《けいしさい》以為《おも》えらく婦人保すべからずと。元景にいう卿何ぞ必ずしも姓王ならん。元景色を変える。子才曰く我また何ぞ姓※[#「形」の「彡」に代えて「おおざと」、第3水準1−92−63]能く五世を保せんやと(『史記評林』四六と七八、『広弘明集』七)。しかるに誰の
前へ 次へ
全212ページ中135ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング