寵《ちょう》衰えては出家して義朝の跡を弔いそうなところ、いわゆる三十後家は立たない勢《せい》か、一条大蔵卿長成に嫁して生んだ侍従良成てふがその異父兄義経と安否を共にすべく同行した事見え、『曾我物語』には曾我兄弟の母が兄弟の父より前に京の人に相馴れて生んだ異父兄京の小次郎を祐成《すけなり》がその父の復仇に語らい掛くる事あり。いずれもその頃まで母系統を重んじた古風が残りいた証だ。柳田氏かつて越前のある神官の家の系図に、十数代の間婦女より婦女に相続の朱線引き夫の名は各女の右に傍注しあったという(『郷土研究』一の十)。八丈島民が母系を重んじたは誰も知るところだ。『左伝』に〈男女同姓、その生蕃せず〉とあるを学理に合ったよう心得た人多きも釈迦キリストなどを生じた名門に同姓婚の祖先あった者少なからず。植物などにも一花内の雌雄《しゆう》|蘂《ずい》交わって専ら繁殖し行くもある。繁縷《はこべ》などこの伝で全盛を続けいるようだ。もし同姓婚が絶対に繁殖の力乏しきものなら、最初の動植が同姓にして如何ぞ無数の後胤を遺し得んや。それからインドで一夫多妻の家の妻と一妻多夫の家の妻とが父系統母系統の優劣について大議論
前へ
次へ
全212ページ中134ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング