あるといったのだろう。
それから『氏郷記』に、心得童子《こころえのどうじ》主人の思う事を叶《かな》えて久しく仕えしが、後に強《きつ》う怒られて失《う》せしとかやとあるは、『近江輿地誌略』に、竜宮から十種の宝を負い出でたる童を如意《にょい》と名づけ、竜次郎の祖先だとあると同人で、如意すなわち主人の意のごとく万事用を達すから心得童子と釈《と》いたのであろう。『今昔物語』に、支那の聖人|宮迦羅《くがら》、使者をして王后を負い来らしめ、犯して妊《はら》ませた話あり。唐の金剛菩提三蔵訳『不動使者陀羅尼秘密法』に、不動使者を念誦《ねんじゅ》して駆使せば、手を洗い楊枝《ようじ》を取るほどの些事より、天に上り山に入るまで、即刻成就せしむ、天女を将《も》ち来らしむるもたちまち得、何ぞいわんや人間界の人や物や飲食をやとあり。『部多大教王経』には、真言で部多《ヴェーターラ》女を招き妹となし、千|由旬《ゆじゅん》内に所要の女人を即刻取り来らしむる法あり。『大宝広博秘密陀羅尼経』には、随心陀羅尼を五万遍誦せば、※[#「女+綵のつくり」、142−3]女王后を鈎召し得とあり。『不空羂索陀羅尼経』に、緊羯羅《こんがら》童子を使うて、世間の新聞一切報告せしむる方を載せ、この童子用なき日は、一百金銭を持ち来り、持呪者に与う、しかしその銭は仏法僧のために用《つか》い却《はた》し、決して吝《おし》んじゃいけないとは、例の坊主勝手な言で、果してさようなら、持呪者は只働《ただばたら》きで余り贏利《もうけ》にならぬ、この緊羯羅は瞋面怒目赤黄色狗牙上に出で、舌を吐いて唇を舐め、赤衣を着たという人相書で、これに反し制※[#「てへん+適」、第4水準2−13−57]迦《せいたか》は、笑面黄白色の身相、人意を悦ばしむと見ゆ。この者も持呪者のために一切の要物《いるもの》を持ち来り、不快な物を除《の》け去り、宅舎《いえ》を将ち来り掃灑《そうじ》し、毒害も及ぶ能わざらしめるなど至極重宝だが、持呪者食時ごとに、まず飲食をこれに与え、また花香|花鬘《けまん》等を一日欠かさず供えずば、隠れ去って用を為《な》さぬとある。
『不動使者陀羅尼秘密法』に、〈不動使者小童子形を作《な》す、両種あり、一は矜禍羅《こんがら》と名づく(すなわち宮迦羅《くがら》)、恭敬小心の者なり、一は制※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]迦と名づく、共に語らい難く、悪性の者なり、なお人間悪性の下にありて、駆使を受くといえども、常に過失多きがごときなり〉。『亜喇伯夜譚《アラビヤンナイツ》』に名高いアラジンが晶燈《ランプ》さえ点《とぼ》せば現れた如意使者、グリンムの童話の廃兵が喫烟《きつえん》するごとに出て、王女を執り来った使者鬼など、万事主人の命に随うたが、『今昔物語』の宮迦羅同前、余りに苛酷に使えば怒りて応ぜず、また幾度も非行をし過すに、不同意だったと見える。秀郷の心得童子が、主人の子孫に叱られて消え去ったは、全く主人の所望にことごとく応ぜなんだ故で、矜羯羅《こんがら》よりは制※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]迦《せいたか》に近い、かかる如意使者は、欧州の巫蠱《ふこ》(ウィチクラフト)また人類学にいわゆるファミリアール(眷属鬼)の一種で、諸邦眷属鬼については、『エンサイクロペジア・ブリタンニカ』一九一〇年版、六巻八頁に説明あり。
一九一四年版、エントホヴェンの『グジャラット民俗記《フォークロール・ノーツ》』六六頁に、昔インドモヴァイヤの一農、耕すごとに一童男被髪して前に立つを見、ある日その髪を剪《き》り取ると、彼随い来って復さん事を切願すれど与えず、髪を小豆納《あずきいれ》の壺中に蔵《かく》す。爾来彼童僕となって田作す、そのうち主人小豆|蒔《ま》くとて、童をして壺《つぼ》より取り出さしむると、自分の髪を見附け、最《いと》重き小豆一荷持って主人に詣《いた》り、告別し去った、この童はブフット鬼だったという。ブフットすなわち上に引いた部多《ヴェータラ》かと思うが、字書がなき故ちょっと判らぬ、とにかくこれも如意使者の一種、至って働きのない奴《やつ》に相違ない。
これでまず竜宮入り譚の瑣末《さまつ》な諸点を解いたつもりだ。これより進んでこの譚の大体が解るよう、そもそも竜とは何物ぞという疑問を釈こう。
竜とは何ぞ
昔孔子|老※[#「耳+(冂<はみ出た横棒二本)」、第3水準1−90−41]《ろうたん》を見て帰り三日|談《かた》らず、弟子問うて曰く、夫子《ふうし》老※[#「耳+(冂<はみ出た横棒二本)」、第3水準1−90−41]を見て何を規《ただ》せしか、孔子曰く、われ今ここにおいて竜を見たり、竜は合《お》うて体を成し散じて章を成す、雲気に乗じて陰陽は養わる、予《われ》口張って※[#「口+脅」、144−4]《あ》う能わず、また何ぞ老※[#「耳+(冂<はみ出た横棒二本)」、第3水準1−90−41]を規さんや(『荘子』)。『史記』には、〈孔子|去《ゆ》きて弟子にいいて曰く、鳥はわれその能く飛ぶを知り、魚はわれその能く游《およ》ぐを知り、獣はわれその能く走るを知る。走るものは以て罔《あみ》を為すべし、游ぐものは以て綸《いと》を為すべし、飛ぶものは以て※[#「矢+曾」、第4水準2−82−26]《いぐるみ》を為すべし。竜に至ってわれ知る能わず、その風雲に乗りて天に上るを。われ今日老子に見《まみ》ゆ、それなお竜のごときか〉とある、孔子ほどの聖人さえ竜を知りがたき物としたんだ。されば史書に、〈太昊《たいこう》景竜の瑞あり、故に竜を以て官に紀す〉、また〈女※[#「女+咼」、第3水準1−15−89]《じょか》黒竜を殺し以て冀州《きしゅう》を済《すく》う〉、また〈黄帝は土徳にして黄竜|見《あらわ》る〉、また〈夏は木徳にして、青竜郊に生ず〉など、吉凶とも竜の動静を国務上の大事件として特筆しおり、天子の面を竜顔に比し、非凡の人を臥竜と称えたり。漢高祖や文帝や北魏の宣武など、母が竜に感じて帝王を生んだ話も少なからず。かくまで尊ばれた支那の竜はどんな物かというに、『本草綱目』の記載が、最《いと》要を得たようだから引こう。いわく、〈竜形九似あり、頭駝に似る、角鹿に似る、眼鬼に似る、耳牛に似る、項蛇に似る、腹蜃に似る(蜃は蛇に似て大きく、角ありて竜状のごとく紅鬣、腰以下鱗ことごとく逆生す)、鱗鯉に似る、爪鷹に似る、掌虎に似るなり、背八十一鱗あり、九々の陽数を具え、その声銅盤を戞《う》つがごとし、口旁に鬚髯あり、頷下に明珠あり、喉下に逆鱗あり、頭上に博山あり、尺水と名づく、尺水なければ天に昇る能わず、気を呵して雲を成す、既に能く水と変ず、また能く火と変じ、その竜火湿を得ればすなわち焔《も》ゆ、水を得ればすなわち燔《や》く、人火を以てこれを逐えばすなわち息《や》む、竜は卵生にして思抱す〉(思抱とは卵を生んだ親が、卵ばかり思い詰める力で、卵が隔たった所にありながら孵《かえ》り育つ事だ。インドにもかかる説、『阿毘達磨倶舎論《あびだつまくしゃろん》』に出《い》づ、いわく、〈太海中大衆生あり、岸に登り卵を生み、沙内に埋む、還りて海中に入り、母もし常に卵を思えばすなわち壊《こぼ》たず、もしそれ失念すれば卵すなわち敗亡す〉、これ古人が日熱や地温が自ずから卵を孵すに気付かず、専ら親の念力で暖めると誤解するに因る)、〈雄上風に鳴き、雌下風に鳴く、風に因りて化す〉(親の念力で暖め、さて雄雌の鳴き声が風に伴《つ》れて卵に達すれば孵るのだ、『類函』四三八に、竜を画《えが》く者の方《かた》へ夫婦の者来り、竜画を観《み》た後、竜の雌雄|状《さま》同じからず、雄は鬣《たてがみ》尖り鱗《うろこ》密に上《かみ》壮《ふと》く下《しも》殺《そ》ぐ、雌は鬣円く鱗薄く尾が腹よりも壮《ふと》いといい、画師不服の体を見て、われらすなわち竜だから聢《たしか》に見なさいといって、雌雄の竜に化《な》って去ったと出《い》づ、同書四三七に、斉の盧潜竜鳴を聞いて不吉とし城を移すとあり、予も鰐鳴を幾度も聞いた)、〈その交《つる》むときはすなわち変じて二小蛇と為《な》る、竜の性粗猛にして、美玉|空青《ぐんじょう》を愛《め》づ、喜んで燕肉を嗜む(ローランの『仏国動物俗談《フォーン・ポピュレール・ド・フランス》』巻二、三二二頁に、仏国南部で燕が捷く飛び廻るは竜に食わるるを避けてなりと信ぜらるとある)、鉄および※[#「くさかんむり/罔」、146−2]草《もうそう》蜈蚣|楝葉《せんだんのは》五色糸を畏る、故に燕を食うは水を渡るを忌み、雨を祀るには燕を用う、水患を鎮むるには鉄を用う、『説文』に竜春分に天に登り、秋分に淵に入る〉。
支那に劣らずインドまた古来竜を神視し、ある意味においてこれを人以上の霊物としたは、諸経の発端|毎《つね》に必ず諸天神とともに、諸竜が仏を守護聴聞する由を記し、仏の大弟子を竜象に比したで知れる。『大方等日蔵経』九に、〈今この世界の諸池水中、各《おのおの》竜王ありて停止《とどま》り守護す、娑伽羅等八竜王のごときは、海中を護り、能く大海をして増減あるなからしむ、阿奴駄致《あぬたっち》等四竜王、地中を守護し、一切の河を出だす、流れ注ぎて竭きることなし、難陀《なんだ》優波難陀《うばなんだ》二竜王、山中を守護するが故に、諸山の叢林鬱茂す云々、毘梨沙《びりしゃ》等、小河水にて守護を為す〉。それから諸薬草や地や火や風や樹や花や果や、一切の工巧《てわざ》や百般の物を護る諸竜の名を挙げおり、『大灌頂神呪経《だいかんじょうしんじゅきょう》』に三十五、『大雲請雨経』に百八十六の竜王を列《なら》べ、『大方等大雲経』には三万八千の竜王仏説法を聴くとあり、『経律異相』四八に、竜に卵生・胎生・湿生・化生の四あり、皆先身|瞋恚《はらたて》心《こころ》曲《まが》り端大《たんだい》ならずして布施を行せしにより今竜と生まる、七宝を宮となし身高四十里、衣の長さ四十里、広さ八十里、重さ二両半、神力を以て百味の飲食《おんじき》を化成すれど、最後の一口変じて蝦蟇《がま》と為《な》る、もし道心を発し仏僧を供養せば、その苦を免れ身を変じて蛇※[#「兀+虫」、第4水準2−87−29]《へびとかげ》と為るも、蝦蟇と金翅鳥《こんじちょう》に遭わず、※[#「元/黽」、第4水準2−94−62]※[#「(口+口)/田/一/黽」、146−16]《げんだ》魚鼈《ぎょべつ》を食い、洗浴《ゆあみ》衣服もて身を養う、身相触れて陰陽を成す、寿命一劫あるいはそれ以下なり、裟竭《さがら》、難陀等十六竜王のみ金翅鳥に啖われずとある。金翅鳥は竜を常食とする大鳥で、これまた卵胎湿化の四生あり、迦楼羅《かるら》鳥王とて、観音の伴衆《つれしゅ》中に、烏天狗《からすてんぐ》様に画かれた者だ。これは欧州やアジア大陸の高山に住む、独語でラムマーガイエル、インド住英人が金鷲《ゴルズン・イーグル》と呼ぶ鳥から誇大に作り出されたらしい、先身高慢心もて、布施した者この鳥に生まる。
『僧護経』にいわく竜も豪《えら》いが、生まるる、死ぬる、婬する、瞋《いか》る、睡《ねむ》る、五時《いつつのとき》に必ず竜身を現じて隠す能わず。また僧護竜宮に至り、四竜に経を教うるに、第一竜は黙って聴受《ききとり》、第二竜は瞑目《ねむりて》口誦《くじゅ》し、第三竜は廻顧《あとみ》て、第四竜は遠在《へだたっ》て聴受《ききとっ》た、怪しんで竜王に向い、この者ら誠に畜生で作法を弁えぬと言うと、竜王そう呵《しか》りなさんな、全く師命《しのいのち》を護らん心掛けだ、第一竜は声に毒あり、第二竜は眼に毒あり、第三竜は気に、第四竜は触《さわ》るに毒あり、いずれも師を殺すを虞《おそ》れて、不作法をあえてしたと語った。また竜の三患というは、竜は諸鱗虫の長で、能く幽に能く明に、能く大に能く小に、変化極まりなし、だが第一に熱風熱沙|毎《いつ》もその身を苦しめ、第二に悪風|暴《にわ》かに起れば身に飾った宝衣全く失わる、第三には上に述べた金翅鳥に逢うと死を免れぬ、それから四事不可思議とは、世間の衆生いずこより生れ来り
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