]ちゅうのがあって、若者一人兎となってまず出立し道中諸処に何か落し置くを跡の数人猟犬となってこれを追踪《ついそう》捕獲するので一同|短毛褐《ジャージー》を着|迅《はや》く走るに便にす、年中季節を問わず土曜の午後活溌な運動を好む輩の所為《しわざ》だが余り動きが酷《ひど》くてこれに堪えぬ者が多いという(ハツリット『信念および民俗《フェース・エンド・フォークロール》[#ルビは「信念および民俗」にかかる]』一九〇五年版巻一、頁三〇五)。予はそんな事よりやはり寝転んで盃一《ぱいいち》がいいというと読者は今のさき妻の涙で全然酒がやんだといったじゃないかと叱るだろ。それから『今昔物語』に大和国《やまとのくに》に殺生を楽しんだ者ありて生きながら兎の皮を剥《は》いで野に放つとほどなく毒瘡その身を腐爛して死んだと載せて居る。故ロメーンスは人間殊に小児や未開人また猴《さる》や猫に残忍な事をして悦楽する性ある由述べた。すなわち猫が鼠を捉えて直ちに啖《く》わず、手鞠《てまり》にして抛げたりまた虚眠して鼠その暇を伺い逃げ出すを片手で面白そうに掴んだりするがごとし。わが邦の今も小児のみか大人まで蟹の両眼八足を抜いて
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