鶴が言っても己《おれ》が捷い、すなわち己が浜を伝うて向うに達する間に鶴に今相論じいる場所から真直に飛んで向うへやっと達し得ると言った、鶴しからば競争を試《や》って見ようと言うと蟹が応じたので二人一斉に一、二、三と言い畢《おわ》って鶴が一目散に飛び出す、蟹は徐《おもむろ》に穴に入って己《おれ》の眷属が到る処充満しいるから鶴はそれを己一人と惟《おも》うて騙《だま》される事と笑いいる、鶴が飛んでいる中|何処《どこ》へ往っても蟹の穴があるのを見て、さては己より前に蟹がそこへ来て早《はや》穴を掘って住んでいやがるかと不審してそこへ下りて耳を穴に当て聴いて見るとブツブツと蟹の沫《あわ》吹く音がする、また飛び上がって少し前へ往くとまた蟹の穴が見えるのでまた下りて聴くと沫の音する、早蟹がここまで来て穴を掘っておると思うて何度も何度も飛んでは聴き聴いてはまた飛び上がり、余り疲れてついに海に落ちて鶴は死んでしまった。また一つフィジー島で話すは鶴と蝶との競争で蝶が鶴に向い何とトンガ島まで飛んで見よ、かの島には汝の大好物の蝦《えび》が多いというに、鶴これに応じて海上を飛び行くその背へちょっと鶴が気付かぬように蝶が留まって鶴の飛ぶに任す、さて鶴が些《すこし》休息しようとしだすと蝶はたちまちその背を離れ予の方が捷いと言いながら前へと飛んで行く、小癪《こしゃく》なりと鶴が飛び出して苦もなく蝶を追い過すと蝶また鶴の背に留まり、鶴が休もうとするとまた蝶が嘲弄しながら飛び出す、このように蝶は鶴の背に留まり通しで鶴は少しも休む事ならずついに労《つか》れ死んでしもうた。
 マダガスカル島にもこんな話が若干ある、その一つにいわく、昔々野猪と蛙が平地から山の絶頂まで競争しようと懸かった、さて野猪が豪《えら》い勢いで乗り出すと同時に蛙がその頸上に飛び付いて留まった、蛙の身は至って軽く野猪の頸の皮がすこぶる厚いから一向気が付かぬ、かくて一生懸命に走って今一足で嶺に達するという刹那《せつな》蛙が野猪の頸からポイと躍《と》んで絶頂へ着いたので野猪我は蛙にして遣《や》られたと往生を唱うた、残念でならぬから今度はどちらが能く跳ぶか競べ見んと言うと蛙|容易《たやす》く承諾し打ち伴れて川辺に到り一、二、三といい了《お》うと同時に野猪が跳び出すその時遅くかの時速くまた蛙めが野猪の頸に飛び付いたのを一向知らず、努力して川の彼岸へ跳び下りる前に蛙がその頸から離れて地へ下りたので野猪眼を赤くし口から白い沫を吐いて降参した。
 今一つマダガスカル島の話には野猪と守宮《やもり》と競争したという、ある日野猪が食を求めに出懸ける途上小川側で守宮に行き逢い、何と変な歩きぶりな奴だ、そんなに歩が遅くちゃアとても腹一杯に物を捉え食う事はなるまい、お前ほど瘠《や》せて足遅と来ちゃ浮々《うかうか》すると何かに踏み殺されるであろう、よしか、一つ足を試して見よう、予がこの谷をまるで歩き過ごした時に汝はまだこの小川の底を這《は》い渡ってしまわぬ位だろうと言うと守宮そんなに言われると一言も出ぬ、しかし日本の売淫などの通語にも女は面《つら》より床上手などと言って守宮にはまた守宮だけの腕前足前もあればこそ野猪様の御厄介にならず活きて居られると言うものサ、何と及ばぬながら一つ競駈《かけくらべ》を試して見ようでござらぬかと言うと、野猪心中取るにも足らぬ守宮|奴《め》と蔑みながら、さようサ、だがここは泥が多い万一己の足で跳ね上げる泥塊が汝の身に降り懸かって見ネーナ、たちまち饅頭の上へ沢庵の重しを置いたように潰《つぶ》れてしまうが気の毒だ、ちょうどソレそこの上の方に乾いた広場があるからそこで試して見ようそしてもし予が負けたら予と予の眷属残らず汝守宮殿の家来になりましょうと言うと、どう致しまして野猪様御一疋でいらっしゃっても恐ろしくてならぬものを御眷属まで残らず家来にしようなどとは夢存じ寄りません、だがほんの遊戯と思召《おぼしめ》して一つ御指南を仰ぎたいと守宮が答えて上の方の広場へ伴れ行き、サアあそこの樹幹にヴェロと言う茅《かや》が生えて居る、そいつを目的に競争と約束成りて野猪がサア駈け出そうと言うと守宮オット待ちなさい足場を確《しか》と検して置こうと言うて野猪の鬣《たてがみ》の直ぐ側《そば》に生えおった高い薄《すすき》に攀《よ》じ登りサア駈けろと言うと同時に野猪の鬣に躍び付いた、野猪一向御客様が己の頸に取り付いていると心付かず、むやみ無性に駈け行きてかの樹の幹に近づくとたちまち守宮は樹の幹に飛び付きそれ私の方が一足捷かったと言われて野猪腹を立て一生懸命に駈け戻ると守宮素捷くその鬣に取り付きおり、今一足で出立点と言うときたちまち野猪の前へ躍び下りる、かくすること数多回一度も野猪の勝とならなんだので憤りと憊《つか》れで死んでしまったと
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