ある。
 上述の諸話と大分変ったのがセイロンに行わるる獅と亀の競争の話で、いわくある時小川の岸辺で亀と獅と逢う、亀獅に対《むか》い汝がこの川を跳び越えるよりも疾く予はこの川を游《およ》ぎ渡って見すべしと言った、獅奇怪な申し条かなと怪しんで日を定めて競争を約した、その間に亀その親族のある一亀を語らい当日川の此方《こなた》に居らしめ自分は川の彼方《かなた》に居り各々ラトマル花莟一つを口中に銜《ふく》む事とした、さて約束の日になって獅川辺に来り亀よ汝は用意|調《ととの》うかと問うと、用意十分と答えたので、獅サア始めようと川を跳び越えて見れば亀はすでに彼岸に居る、またこの岸へ跳び来って見ればやはり亀が早《はや》渡り着いている、同じ花莟を一つ含んでいるから二疋の別々の亀を獅が同じ一疋の亀と見たんだ、獅|焼糞《やけくそ》になり何と貴様は足の捷い亀だ、しかし予ほどに精力が続くまいいっそどっちが疲れ果て動くことのならぬまで何度も何度も試して見ようじゃないかと言うと、亀は一向動かずに二疋別々に両岸に坐りおれば好《よ》いのだから異議なくサア試そうと答えたので、獅狂人のごとく彼岸へ飛んだり此岸《しがん》へ飛んだり何度飛んでも亀が先にいるのでついに飛び死《じに》に死んでしまいました。
 シャムの話には金翅鳥《こんじちょう》竜を堪能《たんのう》するほど多く食おうとすれどそんなに多く竜はない、因って金翅鳥ある湖に到り、その中に亀多く居るを見てこれを食い悉《つ》くそうとした爾時《そのとき》亀高声に喚《さけ》んでわれらをただ食うとは卑劣じゃ、まず汝と競駈《かけくらべ》して亀が劣ったら汝に食わりょうというと、金翅鳥しからば試そうと言って高く天に飛び上がった、亀はたちまちその眷属一切を嘱集して百疋と千疋と万疋と十万疋と百万疋と千万疋とそれぞれ一列に並んで全地を覆うた、金翅鳥その翼力を竭《つく》し飛び進むとその下にある亀がわれの方が早くここにあると呼ばわる、いかに力を鼓して飛んでも亀が先に走り行くように見えて、とうとうヒマラヤ山まで飛んで疲れ果て、亀よわれ汝が足捷の術に精進せるを了《さと》ると言ってラサル樹に留まって休んだとある。
 ドイツにこれに似た話があって矮身の縫工が布一片を揮《ふる》うて蠅七疋を打ち殺し自分ほどの勇士世間にあらじと自賛し天晴《あっぱれ》世に出で立身せんと帯に「七人を一打にす」と銘して出立した、道で巨人に逢うて大力に誇ると巨人何だそんな矮身がと嘲り石一つ採って手で搾ると水が出るまで縮める、縫工臆せず懐中より乳腐《にゅうふ》を取り出し石と称し搾って見せると汗が出た、巨人また石を拾うて天に向って抛《ほう》ると雲を凌いでまた還らぬ、縫工兼ねて餌食にと籃《かご》に入れ置いた生鳥を出し石と称して抛り上げると飛び上がって降りて来ぬ、巨人さても矮身に似ぬ大力かなと驚き入り今一度力を試そうと大木を引き抜き二人で運んで見んと言うと、縫工すべて木の本《もと》の方より末の方が枝が多く張って重いものだ、汝は前になって軽い根本の方を担《かつ》げ、われは後にあって重い末の方を持って遣ろうと紿《あざむ》いて、巨人に根を肩にさせ自分は枝の岐《また》に坐っているのを巨人一向気付かず一人して大木を担げ行《ある》いたので憊《つか》れてしまった、それから巨人の家に往って宿ると縫工夜間寝床に臥せず室隅に臥す、巨人知らず闇中《あんちゅう》鉄棒もて縫工を打ち殺さんとして空しく寝床を砕く、さて早《はや》殺しやったと安心して翌朝見れば縫工|恙《つつが》なく生き居るので巨人怖れて逃げ去った、国王これを聞いて召し出し毎々《つねづね》この国を荒らし廻る二鬼を平らげしめるに縫工|恐々《こわごわ》往って見ると二鬼樹下に眠り居る、縫工その樹に昇り上から石を落すと鬼ども起きて互いに相棒の奴の悪戯《いたずら》と早合点し相罵り同士討ちして死におわる、縫工還って臣一人で二鬼を誅したと奏し国王これを重賞した、次に一角獣現じ国を荒らすこと夥《おびただ》しく国王また縫工してこれを平らげしむ、縫工|怖々《こわごわ》に立ち合うと一角|驀然《まっしぐら》に駈け来って角を樹に突っ込んで脱けず、縫工幸いに樹の後に逃れいたが、一角さえ自在ならぬと至って弱い獣故たちまち出でその角を折り一角獣を王の前へ牽《ひ》き出した、次に類似の僥倖《ぎょうこう》で野猪を平らげ恩賞に王女を妻に賜うたとある、前に述べた亀が諸獣を紿《あざむ》いた話に似たのはわが邦にも『古事記』に因幡《いなば》の素兎《しろうさぎ》が鰐《わに》を欺き海を渡った話がある、この話の類譚や起原は正月十五日か二月一日の『日本及日本人』で説くつもりである。
(大正四年一月一日および四日、『牟婁新報』)



底本:「十二支考(上)」岩波文庫、岩波書店
   1994(平成6)年1月
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