そうかく》謀って獅の形を製し象軍に向かうと象果して驚き奔《はし》りついに林邑に克《か》ったとある、この謀ずっと古くよりあった証《しるし》は『左伝』に城濮《じょうぼく》の戦に晋の胥臣《しょしん》虎皮を馬に蒙《かぶ》せて敵の軍馬を驚かし大勝したとある。
 林宗甫の『和州旧跡幽考』五に超昇寺真如法親王建、天正年中絶え果て今は形ばかりなる廬《いおり》に大日如来一躯あり云々、平城帝第三の御子、母は贈従三位伊勢朝臣継子、大同の末|春宮《とうぐう》に坐し世人蹲踞太子と申したてまつる、弘仁元年九月十二日三十七歳にて落飾し東大寺の道詮律師の室に入らせて真如親王となん申しき、弘法大師に随いて真言宗を極めたまえり、貞観《じょうがん》三年奏聞を経《へ》唐に渡りここには明師なしとて天竺に渡る、唐土の帝渡天の志を感じて多くの宝を与えたまいけるに、その由なしとて皆々返しまいらせて道の用意とて大|柑子《こうじ》を三つ留めたまえりとぞ、僧宗叡は帰朝すれども伴いたまえる親王は見えたまわねば唐土へ生死を尋ねたまえりける、その返事に渡天すとて獅子州にて群れける虎の逢いて食いたてまつらんとしけるに、我身を惜しむにはあらず我はこ
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