時女楽三万人虎を市に放ってその驚駭を見て娯《たのし》んだとあるから、支那にも古くから帝王が畜ったのだろう。
虎が仙人や僧に仕えた話は支那にすこぶる多い。例せば西晋の末|天竺《てんじく》より支那に来た博識|耆域《きいき》は渉船を断られて虎に騎《の》って川を渡り、北斉の僧稠は錫杖を以て両虎の交闘を解く、後梁の法聡は坐するところの縄牀《じょうしょう》の両各々一虎あり、晋安王来りしも進む能わず、聡手を以て頭を按《おさ》え地に著《つ》けその両目を閉ざしめ、王を召し展礼せしむとはなかなか豪《えら》い坊主だ。王境内虎災大きを救えと乞うと入定する事|須臾《しゅゆ》にして十七大虎来る、すなわち戒を授け百姓を犯すなからしめた、また弟子に命じ布の故衣《ふるぎ》で諸虎の頸を繋ぐ、七日経て王また来り斎《とき》を設くると諸虎も僧徒と共に至る、食を与え布を解きやるとその後害を成さず、唐の豊干禅師が虎に騎って松門に入ったは名高い談《はなし》で後趙の竺仏調は山で大雪に会うと虎が窟を譲ってその内に臥さしめ自分は下山した、唐の僖宗の子普聞禅師は山に入って菜なきを憂うると虎が行者に化けてその種子をくれて耕植し得た、南嶽の慧
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