ッれば平塚の宿に夜叉王《やしゃおう》といふ傾城《けいせい》のもとへ通ひて女子一人設けたり寅の年の寅の月の寅の日に生まれければその名を三虎御前とぞ呼ばれける。かくていつき育てしほどに十五歳の時家長|空《むな》しくなりぬ。父死して後母に附いてゐたりしが宿中を遊びつるを容《かたち》の好《よ》きにつれて大磯宿の長者菊鶴といふ傾城乞ひ受けて我娘として育てける。かくて虎十七歳十郎二十歳の冬よりも三年が間|偕老《かいろう》の契り浅からず云々」とありと引いた。文中に見る基成は泰衡《やすひら》らの外祖父で義経戦死の節自殺した。『東鑑《あずまかがみ》』建久四年六月十八日故曾我十郎が妾(大磯の虎除髪せずといえども黒衣|袈裟《けさ》を着す)箱根山の別当行実坊において仏事を修し(中略)すなわち今日出家を遂げ信濃国善光寺へ赴く時に年十九とある。建久四|癸丑《みずのとうし》年に十九なら安元元|乙未《きのとひつじ》年すなわち未歳生まれで寅歳でない、『東鑑』は偽りなしだから『異本曾我物語』は啌《うそ》で寅歳生まれで虎と名づけたでなく寅時にナも生まれたのだろ。次に加藤清正の子忠広幼名虎藤丸(古橋又玄の『清正記』三)藤原氏
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