。明日の午前中だけでも、もつてくれればいい。おばあさんは何しろ米壽の時以來電車などには乘つたこともないのだから、何處まで乘りこたへられるか判つたものではない。何事につけても降られたのでは困る。――
雲の切れ目がすうつと開《ひら》けたと思つたら、電車はもう多摩川の上だつた。私は網棚の風呂敷包を下し、手提を左の脇に挾んで、バランスを取りとり出入口の方へ歩いて行つた。まだ釣革でぶらんこをしてゐるGIは私の近づくのを見ると、不意に手と體躯とでアーチをつくつてくれた。
「オー・サンクス」と反射的に口の中が動いただけだつたが、するとさつき靴を見てゐたもう一人は、不意に又頭の上で、
「東京まで行くのかと思つてたのに。」と云つた。東京とは新宿の意なのであらう。
「どうして?」
「その如くに見えた。」
「でも、東京の家は失つてしまつた。」
「オー、でこのあたりに住んでゐるのか。」
「さうぢやない、母を訪ねるのだ。」
「オアウ!」
彼の青い目は急に故國の母の方に向けられたやうだつた。きつとまだ若い母親であらう。私は、訪ねる母が九十三歳だといふことが彼に考へられるかしらと思つた。それからふと彼國の大統領
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