くれる頃だといふことにしてしまふ。それから、明日は來る筈だといふことに一人できめてしまふ。一日待ち、二日待ち呆けるうちだんだん氣力が衰へてくる。夏の初めにはそんなことからたうとう病氣になつてしまつた。早く癒つて伊東へ行きませうねと私はおばあさんを慰めた。が病後のおばあさんに三時間餘の汽車旅行が出來やうとは思へなかつた。ところが九十三歳のねばりは案外強い。おばあさんは不思議と早く癒つて、もう足ならしの散歩を始めたと報告してきた。それから間もなく、殘暑もだいぶしのぎよくなつたから、かねての望み通り伊東へ伺ひたいが、御都合はいつがいいかと切り込んできたのである。――
「來るのなら天氣の崩れないうちの方がいいな。」
 彼はちよつと硝子戸の日ざしに目をやり、それからごちやごちや物の置いてある二間《ふたま》續きを見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]して、
「おばあさんはきつと、オヤオヤ大變なお道具ですねつて云ふよ。」とおばあさんの聲色になつて笑つた。笑ひながら立つてトントン二階へ上つて行つた。さつきから硝子戸と反對の北側では、ワアワア、ホームホームと昂奮した喚きが斷續してゐる。二階の窓からまともに見下せる運動場で、スポンヂ野球が始まつてゐるのだ。東京で頭のひどく忙しい彼は休日に草野球を見ることで轉換を計つてゐるらしい。彼が二階に落着いたのを知ると私は大きな卓に書簡箋を擴げ、本家の快諾を得られたら、次の日曜の早朝立つことにして、自分は前夜からお迎へに上る旨の返事を認めた。それから、長いこと女中のゐない女中部屋に行き、部屋の半ばを占領してゐる食料品の整理にかかつた。

       二

 遺骨と喪服とで身動きもならぬ小田急だつたが、氣の毒な一團の去つたあとは急にがらあきになつてしまつた。ほつとして腰を下すと、硝子のない窓から吹き入る風が後れ毛を眼の上へ叩きつける。それを拂ふ拍子に私はふと、出入口の方から私の靴を見てゐる進駐兵のあるのに氣付いた。此服には此靴しかないと思つて穿いた紺の變り型なのだが、汚い下駄の並んだ間では目に立つ代物だつたかも知れない。私は氣付かぬ振りで別の方に目を向けた。GIがもう一人車内を睨めながら釣革でぶらんこをしてゐる。彼はふと吊る下つたまま頭を低くして窓外の雲を覗き、天候に就いて何かつぶやいた。さつきから私も雲行の不穩なのを氣にしてゐたところだつた
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