り》画家《ぐわか》が加《くはゝ》りました、横浜《よこはま》の商館番頭《しやうくわんばんとう》で夢《ゆめ》のやうつゝと云《い》ふ名、実名《じつめい》は忘《わす》れましたが、素人《しろうと》にしては善《よ》く画《か》きました、其後《そのご》独逸《どいつ》へ行つて、今では若松《わかまつ》の製鉄所《せいてつじよ》とやらに居《ゐ》ると聞いたが、消息《せうそく》を詳《つまびらか》にしません、
四六|版《ばん》から四六|倍《ばい》の雑誌に移《うつ》る迄《まで》には大分《だいぶ》沿革《えんかく》が有るのですが、今は能《よ》く覚えません、印刷所《いんさつじよ》も飯田町《いひだまち》の中坂《なかさか》に在《あ》る同益社《どうえきしや》と云《い》ふのに易《か》へて、其頃《そのころ》私《わたし》は山田《やまだ》の家《うち》を出て四番町《よんばんちやう》の親戚《しんせき》に寄寓《きぐう》して居《ゐ》ましたから、石橋《いしばし》と計《はか》つて、同益社《どうえきしや》の真向《まむかう》に一軒《いつけん》の家《いへ》を借《か》りて、之《これ》に我楽多文庫《がらくたぶんこ》発行所《はつかうしよ》硯友社《けんいうしや》なる看板《かんばん》を上げたのでした、雑誌も既《すで》に売品《ばいひん》と成《な》つた以上《いじやう》は、売捌《うりさばき》の都合《つがふ》や何《なに》や彼《か》やで店らしい者が無ければならぬ、因《そこ》で酷算段《ひどさんだん》をして一軒《いつけん》借《か》りて、二階《にかい》を編輯室《へんしうしつ》、下を応接所《おうせつしよ》兼《けん》売捌場《うりさばきぢやう》に充《あ》てゝ、石橋《いしばし》と私《わたし》とが交《かは》る/″\詰《つ》める事にして、別《べつ》に会計掛《くわいけいがゝり》を置き、留守居《るすゐ》を置き、市内《しない》を卸売《おろしうり》に行《ある》く者を傭《やと》ひ其《その》勢《いきほひ》旭《あさひ》の昇《のぼ》るが如《ごと》しでした、外《ほか》に類《るゐ》が無かつたのか雑誌も能《よ》く売れました、毎号《まいがう》三千《さんぜん》づゝも刷《す》るやうな訳《わけ》で、未《いま》だ勉《つと》めて拡張《かくちやう》すれば非常《ひじやう》なものであつたのを、無勘定《むかんじやう》の面白半分《おもしろはんぶん》で遣《や》つて居《ゐ》た為《ため》に、竟《つひ》に大事《だいじ》を去
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