空《むなし》く燼余《じんよ》の断骨に相見《あひみ》て、弔ふ言《ことば》だにあらざらんとは、貫一の遽《にはか》にその真《まこと》をば真とし能《あた》はざるところなりき。人は皆死ぬべきものと人は皆知れるなり。されどもその常に相見る人の死ぬべきを思ふ能はず。貫一はこの五年間の家族を迫《せ》めての一人も余さず、家倉と共に焚尽《やきつく》されて一夜の中に儚《はかな》くなり了《をは》れるに会ひては、おのれが懐裡《ふところ》の物の故無《ゆゑな》く消失せにけんやうにも頼み難く覚えて、かくては我身の上の今宵|如何《いか》に成りなんをも料《はか》られざるをと、無常の愁は頻《しきり》に腸《はらわた》に沁《し》むなりけり。
 住むべき家の痕跡《あとかた》も無く焼失せたりと謂《い》ふだに、見果てぬ夢の如し、まして併《あは》せて頼めし主《あるじ》夫婦を喪《うしな》へるをや、音容《おんよう》幻《まぼろし》を去らずして、ほとほと幽明の界《さかひ》を弁ぜず、剰《あまつさ》へ久く病院の乾燥せる生活に困《こう》じて、この家を懐《おも》ふこと切なりければ、追慕の情は極《きはま》りて迷執し、迫《せ》めては得るところもありやと、夜の晩《おそ》きに貫一は市《いち》ヶ谷《や》なる立退所《たちのきじよ》を出でて、杖《つゑ》に扶《たす》けられつつ程遠からぬ焼跡を弔へり。
 連日風立ち、寒かりしに、この夜は遽《にはか》に緩《ゆる》みて、朧《おぼろ》の月の色も暖《あたたか》に、曇るともなく打霞《うちかす》める町筋は静に眠れり。燻臭《いぶりくさ》き悪気は四辺《あたり》に充満《みちみ》ちて、踏荒されし道は水に※[#「※」は「執/水」、276−1]《しと》り、燼《もえがら》に埋《うづも》れ、焼杭《やけくひ》焼瓦《やけがはら》など所狭く積重ねたる空地《くうち》を、火元とて板囲《いたがこひ》も得為《えせ》ず、それとも分かぬ焼原の狼藉《ろうぜき》として、鰐淵が家居《いへゐ》は全く形を失へるなり。黒焦に削れたる幹《みき》のみ短く残れる一列《ひとつら》の立木の傍《かたはら》に、塊《つちくれ》堆《うづたか》く盛りたるは土蔵の名残《なごり》と踏み行けば、灰燼の熱気は未《いま》だ冷めずして、微《ほのか》に面《おもて》を撲《う》つ。貫一は前杖《まへづゑ》※[#「※」は「てへん+主」、276−5]《つ》いて悵然《ちようぜん》として佇《たたず》めり。その立てる二三歩の前は直行が遺骨を発《おこ》せし所なり。恨むと見ゆる死顔の月は、肉の片《きれ》の棄てられたるやうに朱《あか》く敷《し》ける満地の瓦を照して、目に入《い》るものは皆伏し、四望の空く寥々《りようりよう》たるに、黒く点せる人の影を、彼は自《おのづか》ら物凄《ものすご》く顧らるるなりき。
 立尽せる貫一が胸には、在りし家居の状《さま》の明かに映じて、赭《あか》く光れるお峯が顔も、苦《にが》き口付せる主《あるじ》が面《おもて》も眼に浮びて、歴々《まざまざ》と相対《さしむか》へる心地もするに、姑《しばら》くはその境に己《おのれ》を忘れたりしが、やがて徐《しづか》に仰ぎ、徐に俯《ふ》して、さて徐に一歩を行きては一歩を返しつつ、いとど思に沈みては、折々涙をも推拭《おしぬぐ》ひつ。彼は転《うた》た人生の凄涼《せいりよう》を感じて禁ずる能《あた》はざりき。苟《いやし》くもその親める者の半にして離れ乖《そむ》かざるはあらず。見よ或はかの棄てられし恨を遺《のこ》し、或はこの奪はれし悲《かなしみ》に遭《あ》ひ、前の恨の消えざるに又新なる悲を添ふ。棄つる者は去り、棄てざる者は逝《ゆ》き、※[#「※」は「煢−冖」、276−13]然《けいぜん》として吾独《われひと》り在り。在るが故に慶《よろこ》ぶべきか、亡《な》きが故に悼《いた》むべきか、在る者は積憂の中に活《い》き、亡き者は非命の下《もと》に殪《たふ》る。抑《そもそ》もこの活《かつ》とこの死とは孰《いづれ》を哀《あはれ》み、孰を悲《かなし》まん。
 吾が煩悶《はんもん》の活を見るに、彼等が惨憺《さんたん》の死と相同《あひおなじ》からざるなし、但殊《ただこと》にするところは去ると留るとのみ。彼等の死ありて聊《いささ》か吾が活の苦《くるし》きをも慰むべきか、吾が活ありて、始めて彼等が死の傷《いたまし》きを弔ふに足らんか。吾が腸《ちよう》は断たれ、吾が心は壊《やぶ》れたり、彼等が肉は爛《ただ》れ、彼等が骨は砕けたり。活きて爾苦《しかくるし》める身をも、なほさすがに魂《たましひ》も消《け》ぬべく打駭《うちおどろ》かしつる彼等が死状《しにざま》なるよ。産を失ひ、家を失ひ、猶《なほ》も身を失ふに尋常の終を得ずして、極悪の重罪の者といへども未《いま》だ曾《かつ》て如此《かくのごと》き虐刑の辱《はづかしめ》を受けず、犬畜生の末までも箇様《かよう》の業《ごう》は曝《さら》さざるに、天か、命《めい》か、或《ある》は応報か、然《しか》れども独《ひと》り吾が直行をもて世間に善を作《な》さざる者と為《な》すなかれ。人情は暗中に刃《やいば》を揮《ふる》ひ、世路《せいろ》は到る処に陥穽《かんせい》を設け、陰に陽に悪を行ひ、不善を作《な》さざるはなし。若《も》し吾が直行の行ふところをもて咎《とが》むべしと為さば、誰か有りて咎《とが》められざらん、しかも猶《なほ》甚《はなはだし》きを為して天も憎まず、命も薄《うす》んぜず、応報もこれを避《さく》るもの有るを見るにあらずや。彼等の惨死《さんし》を辱《はづかし》むるなかれ、適《たまた》ま奇禍を免れ得ざりしのみ。
 かく念《おも》へる貫一は生前《しようぜん》の誼深《よしみふか》かりし夫婦の死を歎きて、この永き別《わかれ》を遣方《やるかた》も無く悲み惜むなりき。さて何時《いつ》までかここに在らんと、主の遺骨を出《いだ》せし辺《あたり》を拝し、又妻の屍《かばね》の横《よこた》はりし処を拝して、心佗《こころわびし》く立去らんとしたりしに、彼は怪くも遽《にはか》に胸の内の掻乱《かきみだ》るる心地するとともに、失せし夫婦の弔ふ者もあらで闇路《やみぢ》の奥に打棄てられたるを悲く、あはれ猶《なほ》少時《しばし》留らずやと、いと迫《せ》めて乞ひ縋《すが》ると覚ゆるに、行くにも忍びず、又立還りて積みたる土に息《いこ》へり。
 実《げ》に彼も家の内に居て、遺骸《なきがら》の前に限知られず思ひ乱れんより、ここには亡き人の傍《そば》にも近く、遺言に似たる或る消息をも得るらん想《おもひ》して、立てたる杖に重き頭《かしら》を支へて、夫婦が地下に齎《もたら》せし念々を冥捜《めいそう》したり。やがて彼は何の得るところや有りけん、繁《しげ》き涙は滂沱《はらはら》と頬《ほほ》を伝ひて零《こぼ》れぬ。
 夜陰に轟《とどろ》く車ありて、一散に飛《とば》し来《きた》りけるが、焼場《やけば》の際《きは》に止《とどま》りて、翩《ひらり》と下立《おりた》ちし人は、直《ただ》ちに鰐淵が跡の前に尋ね行きて歩《あゆみ》を住《とど》めたり。
 焼瓦《やけがはら》の踏破《ふみしだ》かるる音に面《おもて》を擡《もた》げたる貫一は、件《くだん》の人影の近く進来《すすみく》るをば、誰ならんと認むる間《ひま》も無く、
「間さんですか」
「おお、貴方《あなた》は! お帰来《かへり》でしたか」
 その人は待ちに待たれし直道なり。貫一は忙《いそがはし》く出迎へぬ。向ひて立てる両箇《ふたり》は月明《つきあかり》に面《おもて》を見合ひけるが、各《おのおの》口吃《くちきつ》して卒《にはか》に言ふ能はざるなりき。
「何とも不慮な事で、申上げやうもございません」
「はい。この度《たび》は留守中と云ひ、別してお世話になりました」
「私《わたくし》は事の起りました晩は未《ま》だ病院に居りまして、かう云ふ事とは一向存じませんで、夜明になつて漸《やうや》く駈着《かけつ》けたやうな始末、今更申したところが愚痴に過ぎんのですけれど、私が居りましたらまさかこんな事にはお為せ申さんかつたと、実に残念でなりません。又お二人にしても余り不覚な、それしきの事に狼狽《ろうばい》される方ではなかつたに、これまでの御寿命であつたか、残多《のこりおほ》い事を致しました」
 直道は塞《ふさ》ぎし眼《まなこ》を怠《たゆ》げに開きて、
「何もかも皆焼けましたらうな」
「唯|一品《ひとしな》、金庫が助りました外には、すつかり焼いて了ひました」
「金庫が残りました? 何が入つてゐるのですか」
「貨《かね》も少しは在りませうが、帳簿、証書の類が主《おも》でございます」
「貸金に関した?」
「さやうで」
「ええ、それが焼きたかつたのに!」
 口惜《くちを》しとの色は絶《したた》かその面《おもて》に上《のぼ》れり。貫一は彼が意見の父と相容《あひい》れずして、年来《としごろ》別居せる内情を詳《つまびら》かに知れば、迫《せ》めてその喜ぶべきをも、却《かへ》つてかく憂《うれひ》と為《な》す故《ゆゑ》を暁《さと》れるなり。
「家の焼けたの、土蔵の落ちたのは差支無《さしつかへな》いのです。寧《むし》ろ焼いて了はんければ成らんのでしたから、それは結構です。両親の歿《なくな》つたのも、私《わたくし》であれ、貴方であれ、かうして泣いて悲む者は、ここに居る二人きりで、世間に誰一人……さぞ衆《みんな》が喜んでゐるだらうと思ふと、唯親を喪《なくな》したのが情無《なさけな》いばかりではないのですよ」
 されども堰《せき》敢《あ》へず流るるは恩愛の涙なり。彼を憚《はばか》りし父と彼を畏《おそ》れし母とは、決して共に子として彼を慈《いつくし》むを忘れざりけり。その憚られ、畏れられし点を除きては、彼は他の憚られ、畏れられざる子よりも多く愛を被《かうむ》りき。生きてこそ争ひし父よ。亡くての今は、その聴《きか》れざりし恨より、親として事《つか》へざりし不孝の悔は直道の心を責むるなり。
 生暖《なまあたたか》き風は急に来《きた》りてその外套《がいとう》の翼を吹捲《ふきまく》りぬ。こはここに失せし母の賜ひしを、と端無《はしな》く彼は憶起《おもひおこ》して、さばかりは有《あり》のすさびに徳とも為ざりけるが、世間に量り知られぬ人の数の中に、誰か故無くして一紙《いつし》を与ふる者ぞ、我は今|聘《へい》せられし測量地より帰来《かへりきた》れるなり。この学術とこの位置とを与へて恩と為ざりしは誰なるべき。外にこれを求むる能はず、重ねてこれを得べからざる父と母とは、相携へて杳《はるか》に迢《はるか》に隔つる世の人となりぬ。
 炎々たる猛火の裏《うち》に、その父と母とは苦《くるし》み悶《もだ》えて援《たすけ》を呼びけんは幾許《いかばかり》ぞ。彼等は果して誰をか呼びつらん。思ここに到りて、直道が哀咽《あいえつ》は渾身《こんしん》をして涙に化し了《をは》らしめんとするなり。
「喜ぶなら世間の奴は喜んだが可いです。貴方《あなた》一箇《ひとり》のお心持で御両親は御満足なさるのですから。こんな事を申上げては実に失礼ですけれども、貴方が今日《こんにち》まで御両親をお持ちになつてゐられたのは、私《わたくし》などの身から見ると何よりお可羨《うらやまし》いので、この世の中に親子の情愛ぐらゐ詐《いつはり》の無いものは決して御座いませんな、私は十五の歳《とし》から孤児《みなしご》になりましたのですが、それは、親が附いてをらんと見縊《みくび》られます。余り見縊られたのが自棄《やけ》の本《もと》で、遂《つひ》に私も真人間に成損《なりそこな》つて了つたやうな訳で。固《もと》より己《おのれ》の至らん罪ではありますけれど、抑《そもそ》も親の附いてをらんかつたのが非常な不仕合《ふしあはせ》で、そんな薄命な者もかうして在るのですから、それはもう幾歳《いくつ》になつたから親に別れて可いと謂《い》ふ理窟《りくつ》はありませんけれど、聊《いささ》か慰むるに足ると、まあ、思召《おぼしめ》さなければなりません」
 貫一のこの人に向ひて親く物言ふ今夜の如き例《ためし》はあらず、彼の物言はずとよりは、この人の悪《にく》み遠《と
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