は小鬢《こびん》を掠《かす》り、肩を辷《すべ》りて、鞄《かばん》持つ手を断《ちぎ》れんとすばかりに撲《う》ちけるを、辛《から》くも忍びてつと退《の》きながら身構《みがまへ》しが、目潰吃《めつぶしくら》ひし一番手の怒《いかり》を作《な》して奮進し来《きた》るを見るより今は危《あやふ》しと鞄の中なる小刀《こがたな》撈《かいさぐ》りつつ馳出《はせい》づるを、輙《たやす》く肉薄せる二人が笞《しもと》は雨の如く、所嫌《ところきら》はぬ滅多打《めつたうち》に、彼は敢無《あへな》くも昏倒《こんとう》せるなり。
檳「どうです、もう可いに為ませうか」
弓「此奴《こいつ》おれの鼻面《はなづら》へ下駄を打着けよつた、ああ、痛《いた》」
 衿巻|掻除《かきの》けて彼の撫《な》でたる鼻は朱《あけ》に染みて、西洋|蕃椒《たうがらし》の熟《つ》えたるに異らず。
檳「おお、大変な衂《はなぢ》ですぜ」
 貫一は息も絶々ながら緊《しか》と鞄を掻抱《かきいだ》き、右の逆手《さかて》に小刀を隠し持ちて、この上にも狼藉《ろうぜき》に及ばば為《せ》んやう有りと、油断を計りてわざと為す無き体《てい》を装《よそほ》ひ、直呻《ひたうめ》きにぞ呻きゐたる。
弓「憎い奴じや。然し、随分|撲《う》つたの」
檳「ええ、手が痛くなつて了ひました」
弓「もう引揚げやう」
 かくて曲者は間近の横町に入《い》りぬ。辛《から》うじて面《おもて》を擡《あ》げ得たりし貫一は、一時に発せる全身の疼通《いたみ》に、精神|漸《やうや》く乱れて、屡《しばし》ば前後を覚えざらんとす。
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  後    編
     第 一 章
 翌々日の諸新聞は坂町《さかまち》に於ける高利貸《アイス》遭難の一件を報道せり。中《うち》に間《はざま》貫一を誤りて鰐淵直行《わにぶちただゆき》と為《せ》るもありしが、負傷者は翌日大学第二医院に入院したりとのみは、一様に事実の真を伝ふるなりけり。されどその人を誤れる報道は決して何等の不都合をも生ぜざるべし。彼等を識《し》らざる読者は湯屋の喧嘩《けんか》も同じく、三ノ面記事の常套《じようとう》として看過《みすご》すべく、何の遑《いとま》かその敵手《あひて》の誰々《たれたれ》なるを問はん。識れる者は恐くは、貫一も鰐淵も一つに足腰の利《き》かずなるまで撃※[#「※」は「足+(殕−歹)」、193−12]《うちのめ》されざりしを本意無《ほいな》く思へるなるべし。又或者は彼の即死せざりしをも物足らず覚ゆるなるべし。下手人は不明なれども、察するに貸借上の遺趣より為《な》せる業《わざ》ならんとは、諸新聞の記《しる》せる如く、人も皆思ふところなりけり。
 直行は今朝病院へ見舞に行きて、妻は患者の容体を案じつつ留守せるなり。夫婦は心を協《あは》せて貫一の災難を悲《かなし》み、何程の費《つひえ》をも吝《をし》まず手宛《てあて》の限を加へて、少小《すこし》の瘢《きず》をも遺《のこ》さざらんと祈るなりき。
 股肱《ここう》と恃《たの》み、我子とも思へる貫一の遭難を、主人はなかなかその身に受けし闇打《やみうち》のやうに覚えて、無念の止み難く、かばかりの事に屈する鰐淵ならぬ令見《みせしめ》の為に、彼が入院中を目覚《めざまし》くも厚く賄《まかな》ひて、再び手出しもならざらんやう、陰《かげ》ながら卑怯者《ひきようもの》の息の根を遏《と》めんと、気も狂《くるはし》く力を竭《つく》せり。
 彼の妻は又、やがてはかかる不慮の事の夫の身にも出《い》で来《きた》るべきを思過《おもひすご》して、若《も》しさるべからんには如何《いか》にか為《す》べき、この悲しさ、この口惜《くちを》しさ、この心細さにては止《や》まじと思ふに就けて、空可恐《そらおそろし》く胸の打騒ぐを禁《とど》め得ず。奉公大事ゆゑに怨《うらみ》を結びて、憂き目に遭《あ》ひし貫一は、夫の禍《わざはひ》を転じて身の仇《あだ》とせし可憫《あはれ》さを、日頃の手柄に増して浸々《しみじみ》難有《ありがた》く、かれを念《おも》ひ、これを思ひて、絶《したたか》に心弱くのみ成行くほどに、裏に愧《は》づること、懼《おそ》るること、疚《やまし》きことなどの常に抑《おさ》へたるが、忽《たちま》ち涌立《わきた》ち、跳出《をどりい》でて、その身を責むる痛苦に堪《た》へざるなりき。
 年久く飼《かは》るる老猫《ろうみよう》の凡《およ》そ子狗《こいぬ》ほどなるが、棄てたる雪の塊《かたまり》のやうに長火鉢《ながひばち》の猫板《ねこいた》の上に蹲《うづくま》りて、前足の隻落《かたしおと》して爪頭《つまさき》の灰に埋《うづも》るるをも知らず、※[#「※」は「鼻+句」、194−13]《いびき》をさへ掻《か》きて熟睡《うまい》したり。妻はその夜の騒擾《とりこみ》、次の日の気労《きづかれ》に、血の道を悩める心地《ここち》にて、※[#「※」は「りっしんべん+(夢−夕)/目」、194−14]々《うつらうつら》となりては驚かされつつありける耳元に、格子《こうし》の鐸《ベル》の轟《とどろ》きければ、はや夫の帰来《かへり》かと疑ひも果てぬに、紙門《ふすま》を開きて顕《あらは》せる姿は、年紀《としのころ》二十六七と見えて、身材《たけ》は高からず、色やや蒼《あを》き痩顔《やせがほ》の険《むづか》しげに口髭逞《くちひげたくまし》く、髪の生《お》ひ乱れたるに深々《ふかふか》と紺ネルトンの二重外套《にじゆうまわし》の襟《えり》を立てて、黒の中折帽を脱ぎて手にしつ。高き鼻に鼈甲縁《べつこうぶち》の眼鏡を挿《はさ》みて、稜《かど》ある眼色《まなざし》は見る物毎に恨あるが如し。
 妻は思設けぬ面色《おももち》の中に喜を漾《たた》へて、
「まあ直道《ただみち》かい、好くお出《いで》だね」
 片隅《かたすみ》に外套《がいとう》を脱捨つれば、彼は黒綾《くろあや》のモオニングの新《あたらし》からぬに、濃納戸地《こいなんどじ》に黒縞《くろじま》の穿袴《ズボン》の寛《ゆたか》なるを着けて、清《きよら》ならぬ護謨《ゴム》のカラ、カフ、鼠色《ねずみいろ》の紋繻子《もんじゆす》の頸飾《えりかざり》したり。妻は得々《いそいそ》起ちて、その外套を柱の折釘《をりくぎ》に懸けつ。
「どうも取んだ事で、阿父《おとつ》さんの様子はどんな? 今朝新聞を見ると愕《おどろ》いて飛んで来たのです。容体《ようだい》はどうです」
 彼は時儀を叙《の》ぶるに※[#「※」は「しんにょう+台」、195−9]《およ》ばずして忙《せは》しげにかく問出《とひい》でぬ。
「ああ新聞で、さうだつたかい。なあに阿父さんはどうも作《なさ》りはしないわね」
「はあ? 坂町で大怪我《おほけが》を為《なす》つて、病院へ入つたと云ふのは?」
「あれは間《はざま》さ。阿父さんだとお思ひなの? 可厭《いや》だね、どうしたと云ふのだらう」
「いや、さうですか。でも、新聞には歴然《ちやん》とさう出てゐましたよ」
「それぢやその新聞が違つてゐるのだよ。阿父さんは先之《さつき》病院へ見舞にお出掛だから、間も無くお帰来《かへり》だらう。まあ寛々《ゆつくり》してお在《いで》な」
 かくと聞ける直道は余《あまり》の不意に拍子抜して、喜びも得為《えせ》ず唖然《あぜん》たるのみ。
「ああ、さうですか、間が遣《や》られたのですか」
「ああ、間が可哀《かあい》さうにねえ、取んだ災難で、大怪我をしたのだよ」
「どんなです、新聞には余程|劇《ひど》いやうに出てゐましたが」
「新聞に在る通だけれど、不具《かたは》になるやうな事も無いさうだが、全然《すつかり》快《よ》くなるには三月《みつき》ぐらゐはどんな事をしても要《かか》るといふ話だよ。誠に気の毒な、それで、阿父《おとつ》さんも大抵な心配ぢやないの。まあ、ね、病院も上等へ入れて手宛《てあて》は十分にしてあるのだから、決して気遣《きづかひ》は無いやうなものだけれど、何しろ大怪我だからね。左の肩の骨が少し摧《くだ》けたとかで、手が緩縦《ぶらぶら》になつて了《しま》つたの、その外紫色の痣《あざ》だの、蚯蚓腫《めめずばれ》だの、打切《ぶつき》れたり、擦毀《すりこは》したやうな負傷《きず》は、お前、体一面なのさ。それに気絶するほど頭部《あたま》を撲《ぶた》れたのだから、脳病でも出なければ可いつて、お医者様もさう言つてお在《いで》ださうだけれど、今のところではそんな塩梅《あんばい》も無いさうだよ。何しろその晩内へ舁込《かつぎこ》んだ時は半死半生で、些《ほん》の虫の息が通つてゐるばかり、私《わたし》は一目見ると、これはとても助るまいと想つたけれど、割合に人間といふものは丈夫なものだね」
「それは災難な、気の毒な事をしましたな。まあ十分に手宛をして遣るが可いです。さうして阿父さんは何と言つてゐました」
「何ととは?」
「間が闇打《やみうち》にされた事を」
「いづれ敵手《あひて》は貸金《かしきん》の事から遺趣を持つて、その悔し紛《まぎれ》に無法な真似《まね》をしたのだらうつて、大相腹を立ててお在《いで》なのだよ。全くね、間はああ云ふ不断の大人《おとなし》い人だから、つまらない喧嘩《けんか》なぞを為る気遣《きづかひ》はなし、何でもそれに違は無いのさ。それだから猶更《なほさら》気の毒で、何とも謂《い》ひやうが無い」
「間は若いから、それでも助るのです、阿父《おとつ》さんであつたら命は有りませんよ、阿母《おつか》さん」
「まあ可厭《いや》なことをお言ひでないな!」
 浸々《しみじみ》思入りたりし直道は徐《しづか》にその恨《うらめし》き目を挙げて、
「阿母さん、阿父さんは未《ま》だこの家業をお廃《や》めなさる様子は無いのですかね」
 母は苦しげに鈍り鈍りて、
「さうねえ……別に何とも……私《わたし》には能《よ》く解らないね……」
「もう今に応報《むくい》は阿父さんにも……。阿母さん、間があんな目に遭《あ》つたのは、決して人事ぢやありませんよ」
「お前又阿父さんの前でそんな事をお言ひでないよ」
「言ひます! 今日は是非言はなければならない」
「それは言ふも可いけれど、従来《これまで》も随分お言ひだけれど、あの気性だから阿父さんは些《ちつと》もお聴きではないぢやないか。とても他《ひと》の言ふことなんぞは聴かない人なのだから、まあ、もう少しお前も目を瞑《つぶ》つてお在《いで》よ、よ」
「私《わたし》だつて親に向つて言ひたくはありません。大概の事なら目を瞑《つぶ》つてゐたいのだけれど、実にこればかりは目を瞑つてゐられないのですから。始終さう思ひます。私は外に何も苦労といふものは無い、唯これだけが苦労で、考出すと夜も寝られないのです。外にどんな苦労が在つても可いから、どうかこの苦労だけは没《なくな》して了《しま》ひたいと熟《つくづ》く思ふのです。噫《ああ》、こんな事なら未《ま》だ親子で乞食をした方が夐《はるか》に可い」
 彼は涙を浮べて倆《うつむ》きぬ。母はその身も倶《とも》に責めらるる想して、或《あるひ》は可慚《はづかし》く、或は可忌《いまはし》く、この苦《くるし》き位置に在るに堪《た》へかねつつ、言解かん術《すべ》さへ無けれど、とにもかくにも言はで已《や》むべき折ならねば、辛《からう》じて打出《うちいだ》しつ。
「それはもうお前の言ふのは尤《もつとも》だけれど、お前と阿父《おとつ》さんとは全《まる》で気合《きあひ》が違ふのだから、万事|考量《かんがへ》が別々で、お前の言ふ事は阿父さんの肚《はら》には入らず、ね、又阿父さんの為る事はお前には不承知と謂《い》ふので、その中へ入つて私も困るわね。内も今では相応にお財《かね》も出来たのだから、かう云ふ家業は廃《や》めて、楽隠居になつて、お前に嫁を貰《もら》つて、孫の顔でも見たい、とさう思ふのだけれど、ああ云ふ気の阿父さんだから、そんなことを言出さうものなら、どんなに慍《おこ》られるだらうと、それが見え透いてゐるから、漫然《うつかり》した事は言はれずさ、お前の心を察して見れば可哀《かあい》さうではあり、さうかと云つて何方《どつち》をどうす 
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