う。故々《わざわざ》御招《おまねき》申しまして甚《はなは》だ恐入りました。もう彼地《あつち》へは御出陣にならんが宜《よろし》うございます。何もございませんがここで何卒《どうぞ》御寛《ごゆる》り」
「ところがもう一遍行つて見やうかとも思ふの」
「へえ、又いらつしやいますか」
物は言はで打笑《うちゑ》める富山の腮《あぎと》は愈《いよいよ》展《ひろが》れり。早くもその意を得てや破顔《はがん》せる主《あるじ》の目は、薄《すすき》の切疵《きりきず》の如くほとほと有か無きかになりぬ。
「では御意《ぎよい》に召したのが、へえ?」
富山は益《ますます》笑《ゑみ》を湛《ただ》へたり。
「ございましたらう、さうでございませうとも」
「何故《なぜ》な」
「何故も無いものでございます。十目《じゆうもく》の見るところぢやございませんか」
富山は頷《うなづ》きつつ、
「さうだらうね」
「あれは宜《よろし》うございませう」
「一寸《ちよいと》好いね」
「まづその御意《おつもり》でお熱いところをお一盞《ひとつ》。不満家《むづかしや》の貴方《あなた》が一寸好いと有仰《おつしや》る位では、余程《よつぽど》尤物《まれもの》と思はなければなりません。全く寡《すくな》うございます」
倉皇《あたふた》入来《いりきた》れる内儀は思ひも懸けず富山を見て、
「おや、此方《こちら》にお在《いで》あそばしたのでございますか」
彼は先の程より台所に詰《つめ》きりて、中入《なかいり》の食物の指図《さしづ》などしてゐたるなりき。
「酷《ひど》く負けて迯《に》げて来ました」
「それは好く迯げていらつしやいました」
例の歪《ゆが》める口を窄《すぼ》めて内儀は空々《そらぞら》しく笑ひしが、忽《たちま》ち彼の羽織の紐《ひも》の偏《かたかた》断《ちぎ》れたるを見尤《みとが》めて、環《かん》の失せたりと知るより、慌《あわ》て驚きて起たんとせり、如何《いか》にとなればその環は純金製のものなればなり。富山は事も無げに、
「なあに、宜《よろし》い」
「宜いではございません。純金《きん》では大変でございます」
「なあに、可《い》いと言ふのに」と聞きも訖《をは》らで彼は広間の方《かた》へ出《い》でて行けり。
「時にあれの身分はどうかね」
「さやう、悪い事はございませんが……」
「が、どうしたのさ」
「が、大《たい》した事はございませんです」
「それはさうだらう。然《しか》し凡《およ》そどんなものかね」
「旧《もと》は農商務省に勤めてをりましたが、唯今《ただいま》では地所や家作《かさく》などで暮してゐるやうでございます。どうか小金も有るやうな話で、鴫沢隆三《しぎさわりゆうぞう》と申して、直《ぢき》隣町《となりちよう》に居りまするが、極《ごく》手堅く小体《こてい》に遣《や》つてをるのでございます」
「はあ、知れたもんだね」
我《われ》は顔《がほ》に頤《おとがひ》を掻撫《かいな》づれば、例の金剛石《ダイアモンド》は燦然《きらり》と光れり。
「それでも可いさ。然し嫁《く》れやうか、嗣子《あととり》ぢやないかい」
「さやう、一人娘のやうに思ひましたが」
「それぢや窮《こま》るぢやないか」
「私《わたくし》は悉《くはし》い事は存じませんから、一つ聞いて見ませうで」
程無く内儀は環を捜得《さがしえ》て帰来《かへりき》にけるが、誰《た》が悪戯《いたづら》とも知らで耳掻《みみかき》の如く引展《ひきのば》されたり。主は彼に向ひて宮の家内《かない》の様子を訊《たづ》ねけるに、知れる一遍《ひととほり》は語りけれど、娘は猶能《なほよ》く知るらんを、後《のち》に招きて聴くべしとて、夫婦は頻《しきり》に觴《さかづき》を侑《すす》めけり。
富山唯継の今宵ここに来《きた》りしは、年賀にあらず、骨牌遊《かるたあそび》にあらず、娘の多く聚《あつま》れるを機として、嫁選《よめえらみ》せんとてなり。彼は一昨年《をととし》の冬|英吉利《イギリス》より帰朝するや否や、八方に手分《てわけ》して嫁を求めけれども、器量|望《のぞみ》の太甚《はなはだ》しければ、二十余件の縁談皆意に称《かな》はで、今日が日までもなほその事に齷齪《あくさく》して已《や》まざるなり。当時取急ぎて普請せし芝《しば》の新宅は、未《いま》だ人の住着かざるに、はや日に黒《くろ》み、或所は雨に朽ちて、薄暗き一間に留守居の老夫婦の額を鳩《あつ》めては、寂しげに彼等の昔を語るのみ。
第 二 章
骨牌《かるた》の会は十二時に※[#「※」は「しんにょう+台」、21−4]《およ》びて終りぬ。十時頃より一人起ち、二人起ちて、見る間に人数《にんず》の三分の一強を失ひけれども、猶《なほ》飽かで残れるものは景気好く勝負を続けたり。富山の姿を隠したりと知らざる者は、彼敗走して帰りしならんと想へり。宮は会の終まで居たり。彼|若《もし》疾《と》く還《かへ》りたらんには、恐《おそら》く踏留るは三分の一弱に過ぎざりけんを、と我物顔に富山は主と語合へり。
彼に心を寄せし輩《やから》は皆彼が夜深《よふけ》の帰途《かへり》の程を気遣《きづか》ひて、我|願《ねがは》くは何処《いづく》までも送らんと、絶《したた》か念《おも》ひに念ひけれど、彼等の深切《しんせつ》は無用にも、宮の帰る時一人の男附添ひたり。その人は高等中学の制服を着たる二十四五の学生なり。金剛石《ダイアモンド》に亜《つ》いでは彼の挙動の目指《めざさ》れしは、座中に宮と懇意に見えたるは彼一人なりければなり。この一事の外《ほか》は人目を牽《ひ》くべき点も無く、彼は多く語らず、又は躁《さわ》がず、始終|慎《つつまし》くしてゐたり。終までこの両個《ふたり》の同伴《つれ》なりとは露顕せざりき。さあらんには余所々々《よそよそ》しさに過ぎたればなり。彼等の打連れて門《かど》を出《い》づるを見て、始めて失望せしもの寡《すくな》からず。
宮は鳩羽鼠《はとばねずみ》の頭巾《ずきん》を被《かぶ》りて、濃浅黄地《こいあさぎぢ》に白く中形《ちゆうがた》模様ある毛織のシォールを絡《まと》ひ、学生は焦茶の外套《オバコオト》を着たるが、身を窄《すぼ》めて吹来る凩《こがらし》を遣過《やりすご》しつつ、遅れし宮の辿着《たどりつ》くを待ちて言出せり。
「宮《みい》さん、あの金剛石《ダイアモンド》の指環を穿《は》めてゐた奴はどうだい、可厭《いや》に気取つた奴ぢやないか」
「さうねえ、だけれど衆《みんな》があの人を目の敵《かたき》にして乱暴するので気の毒だつたわ。隣合つてゐたもんだから私まで酷《ひど》い目に遭《あは》されてよ」
「うむ、彼奴《あいつ》が高慢な顔をしてゐるからさ。実は僕も横腹《よこつぱら》を二つばかり突いて遣つた」
「まあ、酷いのね」
「ああ云ふ奴は男の目から見ると反吐《へど》が出るやうだけれど、女にはどうだらうね、あんなのが女の気に入るのぢやないか」
「私は可厭《いや》だわ」
「芬々《ぷんぷん》と香水の匂《にほひ》がして、金剛石《ダイアモンド》の金の指環を穿めて、殿様然たる服装《なり》をして、好《い》いに違無《ちがひな》いさ」
学生は嘲《あざ》むが如く笑へり。
「私は可厭よ」
「可厭なものが組になるものか」
「組は鬮《くじ》だから為方《しかた》が無いわ」
「鬮だけれど、組に成つて可厭さうな様子も見えなかつたもの」
「そんな無理な事を言つて!」
「三百円の金剛石ぢや到底僕等の及ぶところにあらずだ」
「知らない!」
宮はシォールを揺上《ゆりあ》げて鼻の半《なかば》まで掩隠《おほひかく》しつ。
「ああ寒い!」
男は肩を峙《そばだ》てて直《ひた》と彼に寄添へり。宮は猶《なほ》黙して歩めり。
「ああ寒い!!」
宮はなほ答へず。
「ああ寒い!!!」
彼はこの時始めて男の方《かた》を見向きて、
「どうしたの」
「ああ寒い」
「あら可厭ね、どうしたの」
「寒くて耐《たま》らんからその中へ一処《いつしよ》に入れ給へ」
「どの中へ」
「シォールの中へ」
「可笑《をかし》い、可厭だわ」
男は逸早《いちはや》く彼の押へしシォールの片端《かたはし》を奪ひて、その中《うち》に身を容《い》れたり。宮《みや》は歩み得ぬまでに笑ひて、
「あら貫一《かんいつ》さん。これぢや切なくて歩けやしない。ああ、前面《むかふ》から人が来てよ」
かかる戯《たはむれ》を作《な》して憚《はばか》らず、女も為すままに信《まか》せて咎《とが》めざる彼等の関繋《かんけい》は抑《そもそ》も如何《いかに》。事情ありて十年来鴫沢に寄寓《きぐう》せるこの間貫一《はざまかんいち》は、此年《ことし》の夏大学に入《い》るを待ちて、宮が妻《めあは》せらるべき人なり。
第 三 章
間貫一の十年来鴫沢の家に寄寓せるは、怙《よ》る所無くて養はるるなり。母は彼の幼《いとけな》かりし頃世を去りて、父は彼の尋常中学を卒業するを見るに及ばずして病死せしより、彼は哀嘆《なげき》の中に父を葬るとともに、己《おのれ》が前途の望をさへ葬らざる可《べ》からざる不幸に遭《あ》へり。父在りし日さへ月謝の支出の血を絞るばかりに苦《くるし》き痩世帯《やせじよたい》なりけるを、当時彼なほ十五歳ながら間の戸主は学ぶに先《さきだ》ちて食《くら》ふべき急に迫られぬ。幼き戸主の学ぶに先ちては食ふべきの急、食ふべきに先ちては葬《はうむり》すべき急、猶《なほ》これに先ちては看護医薬の急ありしにあらずや。自活すべくもあらぬ幼《をさな》き者の如何《いか》にしてこれ等の急を救得《すくひえ》しか。固《もと》より貫一が力の能《あた》ふべきにあらず、鴫沢隆三の身|一個《ひとつ》に引承《ひきう》けて万端の世話せしに因《よ》るなり。孤児《みなしご》の父は隆三の恩人にて、彼は聊《いささ》かその旧徳に報ゆるが為に、啻《ただ》にその病めりし時に扶助せしのみならず、常に心着《こころづ》けては貫一の月謝をさへ間《まま》支弁したり。かくて貧き父を亡《うしな》ひし孤児《みなしご》は富める後見《うしろみ》を得て鴫沢の家に引取られぬ。隆三は恩人に報ゆるにその短き生時《せいじ》を以《もつ》て慊《あきた》らず思ひければ、とかくはその忘形見を天晴《あつぱれ》人と成して、彼の一日も忘れざりし志を継がんとせるなり。
亡《な》き人常に言ひけるは、苟《いやし》くも侍の家に生れながら、何の面目《めんぼく》ありて我子貫一をも人に侮《あなど》らすべきや。彼は学士となして、願くは再び四民《しみん》の上《かみ》に立たしめん。貫一は不断にこの言《ことば》を以《も》て警《いまし》められ、隆三は会ふ毎にまたこの言を以《も》て喞《かこ》たれしなり。彼は言《ものい》ふ遑《いとま》だに無くて暴《にはか》に歿《みまか》りけれども、その前常に口にせしところは明かに彼の遺言なるべきのみ。
されば貫一が鴫沢の家内に於ける境遇は、決して厄介者として陰《ひそか》に疎《うと》まるる如き憂目《うきめ》に遭《あ》ふにはあらざりき。憖《なまじ》ひ継子《ままこ》などに生れたらんよりは、かくて在りなんこそ幾許《いかばかり》か幸《さいはひ》は多からんよ、と知る人は噂《うはさ》し合へり。隆三夫婦は実《げ》に彼を恩人の忘形見として疎《おろそか》ならず取扱ひけるなり。さばかり彼の愛せらるるを見て、彼等は貫一をば娘の婿にせむとすならんと想へる者もありしかど、当時彼等は構へてさる心ありしにはあらざりけるも、彼の篤学なるを見るに及びて、漸《やうや》くその心は出《い》で来《き》て、彼の高等中学校に入《い》りし時、彼等の了簡は始めて定りぬ。
貫一は篤学のみならず、性質も直《すぐ》に、行《おこなひ》も正《ただし》かりければ、この人物を以つて学士の冠を戴《いただ》かんには、誠に獲易《えやす》からざる婿なるべし、と夫婦は私《ひそか》に喜びたり。この身代《しんだい》を譲られたりとて、他姓《たせい》を冒《をか》して得謂《えい》はれぬ屈辱を忍ばんは、彼の屑《いさぎよ》しと為ざるところなれども、美き宮を妻に為るを得ば、この身代も屈辱も何か有らん
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