いあげ》まゐらせ候。世間には随分賢からぬ者の好き地位を得て、時めかし居り候も少からぬを見るにつけ、何故《なにゆゑ》御前様《おんまへさま》には然《さ》やうの善からぬ業《わざ》を択《より》に択りて、折角の人に優《すぐ》れし御身を塵芥《ちりあくた》の中に御捨《おんす》て被遊候《あそばされさふらふ》や、残念に残念に存上《ぞんじあげ》まゐらせ候。
愚なる私の心得違《こころえちがひ》さへ無御座候《ござなくさふら》はば、始終《しじゆう》御側《おんそば》にも居り候事とて、さやうの思立《おもひたち》も御座候節《ござさふらふせつ》に、屹度《きつと》御諌《おんいさ》め申候事も叶《かな》ひ候ものを、返らぬ愚痴ながら私の浅はかより、みづからの一生を誤り候のみか、大事の御身までも世の廃《すた》り物に致させ候かと思ひまゐらせ候へば、何と申候私の罪の程かと、今更|御申訳《おんまをしわけ》の致しやうも無之《これなく》、唯そら可恐《おそろ》しさに消えも入度《いりた》く存《ぞんじ》まゐらせ候。御免《おんゆる》し被下度《くだされたく》、御免し被下度《くだされたく》、御免し被下度候。
私は何故《なにゆゑ》富山に縁付き申候や、其気《そのき》には相成申候や、又何故御前様の御辞《おんことば》には従ひ不申《まをさず》候や、唯今《ただいま》と相成候て考へ申候へば、覚めて悔《くやし》き夢の中のやうにて、全く一時の迷とも可申《まをすべく》、我身ながら訳解らず存じまゐらせ候。二つ有るものの善きを捨て、悪《あし》きを取り候て、好んで箇様《かよう》の悲き身の上に相成候は、よくよく私に定り候運と、思出《おもひいだ》し候ては諦《あきら》め居り申候。
其節御前様の御腹立《おんはらだち》一層強く、私をば一打《ひとうち》に御手に懸け被下候《くだされさふら》はば、なまじひに今の苦艱《くげん》は有之間敷《これあるまじく》、又さも無く候はば、いつそ御前様の手籠《てごめ》にいづれの山奥へも御連れ被下候《くだされさふら》はば、今頃は如何なる幸《さいはひ》を得候事やらんなど、愚なる者はいつまでも愚に、始終愚なる事のみ考居《かんがへを》り申候。
嬉くも御赦《おんゆるし》を得、御心解けて、唯二人熱海に遊び、昔の浜辺に昔の月を眺《なが》め、昔の哀《かなし》き御物語を致し候はば、其の心の内は如何に御座候やらん思ふさへ胸轟《むねとどろ》き、書く手も震
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