申候ものは、十年が間に唯の一度も起り申さず、却《かへ》つて憎き仇《あだ》のやうなる思も致し、其傍《そのそば》に居り候も口惜《くちをし》く、倩《つくづ》く疎《うと》み果て候へば、三四年|前《ぜん》よりは別居も同じ有様に暮し居候始末にて、私事一旦の身の涜《けがれ》も漸《やうや》く今は浄《きよ》く相成、益《ますます》堅く心の操《みさを》を守り居りまゐらせ候。先頃荒尾様より御譴《おんしかり》も受け、さやうな心得は、始には御前様に不実の上、今又唯継に不貞なりと仰せられ候へども、其の始の不実を唯今思知り候ほどの愚《おろか》なる私が、何とて後の不貞やら何やら弁《わきま》へ申すべきや。愚なる者なればこそ人にも勾引《かどはか》され候て、帰りたき空さへ見えぬ海山の果に泣倒れ居り候を、誰一箇《たれひとり》も愍《あはれ》みて救はんとは思召し被下候《くだされさふら》はずや。御前様にも其の愚なる者を何とも思召《おぼしめ》し被下候《くだされさふら》はずや。愚なる者の致せし過《あやまち》も、並々の人の過も、罪は同きものに御座候や、重きものに御座候や。
愚なる者の癖に人がましき事申上候やうにて、誠に御恥《おんはづかし》う存候《ぞんじさふら》へども、何とも何とも心得難《こころえがた》く存上候《ぞんじあげさふらふ》は、御前様《おんまへさま》唯今《ただいま》の御身分に御座候《ござさふらふ》。天地は倒《さかさま》に相成候とも、御前様《おんまへさま》に限りてはと、今猶《いまなほ》私は疑ひ居り候ほど驚入《おどろきいり》まゐらせ候。世に生業《なりはひ》も数多く候に、優き優き御心根にもふさはしからぬ然《さ》やうの道に御入《おんい》り被成候《なされさふらふ》までに、世間は鬼々《おにおに》しく御前様《おんまへさま》を苦め申候《まをしさふらふ》か。田鶴見様方《たずみさまかた》にて御姿《おんすがた》を拝し候後《さふらふのち》始《はじめ》て御噂承《おんうはさうけたま》はり、私は幾日《いくか》も幾日も泣暮し申候。これには定て深き仔細《しさい》も御座候はんと存候へども、玉と成り、瓦《かはら》と成るも人の一生に候へば、何卒《なにとぞ》昔の御身に御立返《おんたちかへ》り被遊《あそばされ》、私の焦れ居りまゐらせ候やうに、多くの人にも御慕《おんしたは》れ被遊候《あそばされさふらふ》御出世の程をば、偏《ひとへ》に偏《ひとへ》に願上《ねが
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