而中《せんだつてじゆう》冗《くど》うも冗うも差上申候《さしあげまをしさふらふ》。毎度の文にて細《こまか》に申上候へども、一通の御披《おんひらか》せも無之《これなき》やうに仰せられ候へば、何事も御存無《ごぞんじな》きかと、誠に御恨《おんうらめし》う存上候《ぞんじあげさふらふ》。百度千度《ももたびちたび》繰返《くりかへ》し候ても、是非に御耳に入れまゐらせ度存候《たくぞんじさふら》へども、今此の切なく思乱れ居《をり》候折《さふらふをり》から、又|仮初《かりそめ》にも此上に味気無《あぢきな》き昔を偲び候事は堪難《たへがた》く候故、ここには今の今心に浮び候ままを書続けまゐらせ候。
何卒《なにとぞ》余所《よそ》ながらも承《うけたま》はり度《たく》存上候《ぞんじあげさふらふ》は、長々|御信《おんたより》も無く居らせられ候|御前様《おんまへさま》の是迄《これまで》如何《いか》に御過《おんすご》し被遊候《あそばされさふらふ》や、さぞかし暴《あら》き憂世《うきよ》の波に一方《ひとかた》ならぬ御艱難《ごかんなん》を遊《あそば》し候事と、思ふも可恐《おそろし》きやうに存上候《ぞんじあげさふらふ》を、ようもようも御《おん》めでたう御障無《おんさはりな》う居らせられ、悲き中にも私の喜《よろこび》は是一つに御座候。
御前様《おんまへさま》の数々御苦労|被遊候間《あそばされさふらふあひだ》に、私とても始終人知らぬ憂思《うきおもひ》を重ね候て、此世には苦みに生れ参り候やうに、唯儚《ただはかな》き儚き月日を送りまゐらせ候。吾身《わがみ》ならぬ者は、如何《いか》なる人も皆《みな》可羨《うらやまし》く、朝夕の雀鴉《すずめからす》、庭の木草に至る迄《まで》、それぞれに幸《さいはひ》ならぬは無御座《ござなく》、世の光に遠き囹圄《ひとや》に繋《つなが》れ候悪人《さふらふあくにん》にても、罪ゆり候日《さふらふひ》の楽《たのしみ》は有之候《これありさふらふ》ものを、命有らん限は此の苦艱《くげん》を脱《のが》れ候事《さふらふこと》※[#「※」は「りっしんべん+(篋−竹)」、462−7]《かな》はぬ身の悲しさは、如何に致候《いたしさふら》はば宜《よろし》きやら、御推量|被下度候《くだされたくさふらふ》。申すも異な事に候へども、抑《そもそ》も始より我《わたくし》心には何とも思はぬ唯継《ただつぐ》に候へば、夫婦の愛情と
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