うに思迫《おもひつ》め候気《さふらふき》にも相成候上《あひなりさふらふうへ》に、日毎に闇《やみ》の奥に引入れられ候やうに段々心弱り候へば、疑《うたがひ》も無く信心の誠顕《まことあらは》れ候て、此の蓐《とこ》に就《つ》き候が元にて、はや永からぬ吾身とも存候《ぞんじさふらふ》まま、何卒《なにとぞ》これまでの思出には、たとひ命ある内こそ如何《いか》やうの御恨《おんうらみ》は受け候とも、今はの際《きは》には御前様《おんまへさま》の御膝《おんひざ》の上にて心安く息引取《いきひきと》り度《た》くと存候へども、それは※[#「※」は「りっしんべん+(篋−竹)」、461−3]《かな》はぬ罪深き身に候上は、もはや再び懐《なつかし》き懐き御顔も拝し難く、猶又前非の御ゆるしも無くて、此儘《このまま》相果て候事かと、諦《あきら》め候より外無く存じながら、とてもとても諦めかね候苦しさの程は、此心《このこころ》の外に知るものも、喩《たと》ふるものも無御座候《ござなくさふらふ》。是《これ》のみは御憎悪《おんにくしみ》の中にも少《すこし》は不愍《ふびん》と思召《おぼしめし》被下度《くだされたく》、かやうに認《したた》め居《を》り候内《さふらふうち》にも、涙こぼれ候て致方無《いたしかたな》く、覚えず麁相《そそう》いたし候て、かやうに紙を汚《よご》し申候。御容《おんゆる》し被下度候《くだされたくさふらふ》。
さ候へば私事《わたくしこと》如何《いか》に自ら作りし罪の報《むくい》とは申ながら、かくまで散々の責苦《せめく》を受け、かくまで十分に懺悔致《ざんげいた》し、此上は唯死ぬるばかりの身の可哀《あはれ》を、つゆほども御前様には通じ候はで、これぎり空《むなし》く相成候が、余《あまり》に口惜《くちをし》く存候故《ぞんじさふらふゆゑ》、一生に一度の神仏《かみほとけ》にも縋《すが》り候て、此文には私一念を巻込め、御許《おんもと》に差出《さしいだ》しまゐらせ候。
返す返すも悔《くやし》き熱海の御別《おんわかれ》の後の思、又いつぞや田鶴見《たずみ》子爵の邸内にて図らぬ御見致候《ごけんいたしさふらふ》而来《このかた》の胸の内、其後《そののち》途中《とちゆう》にて御変《おんかは》り被成候《なされさふらふ》荒尾様《あらをさま》に御目《おんめ》に懸り、しみじみ御物語《おんものがたり》致候事《いたしさふらふこと》など、先達
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