顔までも御前様《おんまへさま》のやうに見え候て、此頃は心も空に泣暮し居りまゐらせ候。
久《ひさし》う御目《おんめ》もじ致さず候中《さふらふうち》に、別の人のやうに総《すべ》て御変《おんかは》り被成《なされ》候も、私《わたくし》には何《なに》とやら悲く、又|殊《こと》に御顔の羸《やつれ》、御血色の悪さも一方《ひとかた》ならず被為居候《ゐらせられさふらふ》は、如何《いか》なる御疾《おんわづらひ》に候や、御見上《おんみあ》げ申すも心細く存ぜられ候へば、折角御養生|被遊《あそばされ》、何は措《お》きても御身は大切に御厭《おんいと》ひ被成候《なされさふらふ》やう、くれぐれも念じ上《あげ》候。それのみ心に懸り候余《さふらふあまり》、悲き夢などをも見続け候へば、一入《ひとしほ》御案《おんあん》じ申上まゐらせ候。
私事恥を恥とも思はぬ者との御さげすみを顧《かへりみ》ず、先頃|推《お》して御許《おんもと》まで参《さん》し候胸の内は、なかなか御目もじの上の辞《ことば》にも尽し難《がた》くと存候《ぞんじさふら》へば、まして廻らぬ筆には故《わざ》と何も記《しる》し申さず候まま、何卒《なにとぞ》々々|宜《よろし》く御汲分《おんくみわけ》被下度候《くだされたくさふらふ》。さやうに候へば、其節《そのせつ》の御腹立《おんはらだち》も、罪ある身には元より覚悟の前とは申しながら、余《あまり》とや本意無《ほいな》き御別《おんわかれ》に、いとど思は愈《まさ》り候《さふらふ》て、帰りて後は頭痛《つむりいた》み、胸裂《むねさく》るやうにて、夜の目も合はず、明る日よりは一層心地|悪《あし》く相成《あひなり》、物を見れば唯涙《ただなみだ》こぼれ、何事とも無きに胸塞《むねふさが》り、ふとすれば思迫《おもひつ》めたる気に相成候て、夜昼と無く劇《はげし》く悩み候ほどに、四日目には最早起き居り候事も大儀に相成、午過《ひるすぎ》より蓐《とこ》に就き候まま、今日まで※[#「※」は「厭/心」、460−14]々《ぶらぶら》致候《いたしさふらふ》て、唯々|懐《なつかし》き御方《おんかた》の事のみ思続《おもひつづ》け候《さふらふ》ては、みづからの儚《はかな》き儚き身の上を慨《なげ》き、胸は愈《いよい》よ痛み、目は見苦《みぐるし》く腫起《はれあが》り候て、今日は昨日《きのふ》より痩衰《やせおとろ》へ申候《まをしさふらふ》。
かや
前へ
次へ
全354ページ中335ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
尾崎 紅葉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング