生涯その心掛を忘れずにゐて下さい! その心掛は、貴方の宝ですよ。又狭山さんの宝、則《すなは》ち貴下方夫婦の宝なのです!
今後とも、貴方は狭山さんの為には何日《いつ》でも死んで下さい。何日でも死ぬと云ふ覚悟は、始終きつと持つてゐて下さい。可う御座いますか。
千万人の中から唯一人見立てて、この人はと念《おも》つた以上は、勿論《もちろん》その人の為には命を捨てるくらゐの了簡が無けりや成らんのです。その覚悟が無いくらゐなら、始から念はん方が可いので、一旦念つたら骨が舎利《しやり》に成らうとも、決して志を変へんと云ふのでなければ、色でも、恋でも、何でもないです! で、若《も》し好いた、惚《ほ》れたと云ふのは上辺《うはべ》ばかりで、その実は移気な、水臭い者とも知らず、這箇《こつち》は一心に成つて思窮《おもひつ》めてゐる者を、いつか寝返《ねがへり》を打れて、突放されるやうな目に遭《あ》つたと為たら、その棄てられた者の心の中は、どんなだと思ひますか」
彼の声音《こわね》は益す震へり。
「さう云ふのが有ります! 私は世間にはさう云ふのの方が多いと考へる。そんな徒爾《いたづら》な色恋は、為た者の不仕合《ふしあはせ》、棄てた者も、棄てられた者も、互に好《い》い事は無いのです。私は現にさう云ふのを睹《み》てゐる! 睹てゐるから今貴下方がかうして一処に死ぬまでも離れまいと云ふまでに思合つた、その満足はどれ程で、又そのお互の仕合は、実に謂ふに謂はれん程の者であらう、と私は思ふ。
それに就けても、貴方のその美い心掛、立派な心掛、どうかその宝は一生|肌身《はだみ》に附けて、どんな事が有らうとも、決して失はんやうに為て下さい!――可う御座いますか。さうして、貴下方はお二人とも末長く、です、毎《いつ》も今夜のやうなこの心を持つて、睦《むつまじ》く暮して下さい、私はそれが見たいのです!
今は死ぬところでない、死ぬには及びません、三千円や四千円の事なら、私がどうでも為て上げます」
聞訖《ききをは》りし両個《ふたり》が胸の中は、諸共《もろとも》に潮《うしほ》の如きものに襲はれぬ。
未《ま》だ服さざりし毒の俄《にはか》に変じて、この薬と成れる不思議は、喜ぶとよりは愕《おどろ》かれ、愕くとよりは打惑《うちまど》はれ、惑ふとよりは怪《あやし》まれて、鬼か、神か、人ならば、如何《いか》なる人かと、彼等
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